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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

韓国からわかる三権分立の大切さ

・パククネ大統領の罷免で学ぶ三権分立

 2017年3月10日、韓国のパククネ大統領の罷免の是非を決定する弾劾裁判において、裁判官6人全員がパククネ大統領の罷免を決定した。これによりパククネ大統領は失職し、ここから60日以内に次の大統領を決める大統領選挙が行われることとなる。パククネ大統領の罷免に関するまとめは以下の記事などを参照してもらいたい。

 このパククネ大統領の罷免に関しては、本当に「司法」による決定だったのかどうかが注目されている。というのも、当時の韓国世論は北朝鮮情勢が不安定化しているにもかかわらず、パククネ大統領に対するヘイトに満ちていた。噂ではこの韓国世論のヘイトも北朝鮮の工作の一環だなんて噂がある。つまり国民感情として、パククネ大統領の罷免を求める声が多かったのだ。この国民感情に司法が負けてしまったのではないか?と分析している日本の識者が数多く存在している。

 国民感情に司法が負けるという事はどういうことなのか?それ即ち、独立した司法の判断よりも国民の意見の方が優先されることを意味する。一見するとこれは、真の民主主義の決定なのではないかと思うかもしれない。国民が国民の手で裁きを下したのだからある意味では民主主義の勝利と言え、実際に韓国国内(日本でもだが)でもパククネ大統領の罷免を国民の勝利だと述べている韓国人が、報道で目立っていた。これのどこに問題があるのか?と思うかもしれない。しかしながら、では仮に司法よりも国民感情が優先される社会が本当の民主主義社会だとして、なぜ世界の民主主義国家は司法・行政・立法の三権が独立しているのか?という疑問が生まれる。真の民主主義国家を目指すことと三権分立はどう関係するのか?今回はこの辺りをまとめたいと思う。

三権分立とは?

 そもそも三権分立とは何かというと、とりわけて法治国家においてみられる概念だ。まず法律が一番上にあるとして、法律を作る権限である立法権は国会が持ち、法律に基づいて政治を行う権限である行政権は内閣が持ち、法律に基づいて裁判を行う権限である司法権は裁判所が持つ、と国の権限を三つに分けて、三つの権限が互いに抑制しあって均衡を保つことで、権力の行き過ぎを防ぐ仕組み。これが三権分立だ。

 仮にもしも内閣に三権全部が与えられたとしよう。すると時の内閣は、法律を作る権限も、法律に基づいて政治を行う権限も、法律に基づいて裁判を行う権限も全て持つことになる。つまり時の政権が好き勝手に法律を作って、それに基づいて政治を行い、裁判も好きにできるということだ。これを一つの言葉にまとめたものが、独裁体制である。言うなれば、独裁者を排出しないための三権分立なのである。

---国民との関係性

 そしてこの三権は国民とも関係がある。まず立法権に関しては、国民は選挙を通じて関わる。国民の意思を立法に反映してくれる人を選ぶのが選挙だ。つまり選挙というのは立法権の行使のために必要なものだという事だ。

 次の行政権に関して。これは世論を通じて内閣に関わるもの。世論とは世の中の様々な問題に対する人々の意見のことを言い、実際に世論は政治を動かす力となる。この世論を反映して運営されているのが内閣なのである。

 最後の司法権に関して。これは最高裁判所の裁判官の国民審査を通じて、最高裁判所の裁判官をやめさせることができる仕組みのことを言う。基本的には衆議院議員総選挙と同時に実施されるもの。つまり最高裁判所と呼ばれる司法権の最高機関の人事を、国民が決めることができるという事だ。

 以上が三権分立そのものと国民に関する説明となる。以上の説明はこちらからお借りした。↓

http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/shakai/seiji/06_1_sanken_kankei.htm

 大統領制での三権分立

 ではこれを踏まえた上でパククネ大統領の罷免に関してみてみる・・・前に大統領制での三権分立について述べておこう。基本的には大統領制にも三権分立はある。立法権は大統領が、行政権は議会が、司法権は裁判所が持つ。が、日本のような議院内閣制との違いは厳格性だ。大統領制では大統領が立法権を持ち、それが司法にも一定の影響を与えると言われている。つまり大統領は半分司法権を持っているという事なのだ。

 そして行政権に関しても、議会が大統領の所属する党で過半数を占めていたら、大統領の意見が通りやすくなる仕組みになっている。ただし大統領制における立法と行政は明確に分けられているので、大統領の意見が全て議会を通るわけではない。

 というのも、大統領と議会それぞれに独立した選挙があるからだ。大統領制において国民は、大統領と議員の二つを選ぶ権限を持っている。つまり大統領の輩出に議員が、議員の輩出に大統領が関わることはないという事なのである。とはいえ大統領からの一定の影響はあるかもしれないが、実際の政治を見てみると、例えば現在のアメリカ議会がトランプ大統領を輩出したわけではないし、トランプ大統領がアメリカ上院議員を輩出したわけではない。どちらも国民が選んだものだ。なので、大統領制においては国民が大統領と議会を決めるので、立法と行政は完全に独立したものとなるというわけである(この仕組みを二元代表制とも言う)。立法と行政が完全に独立しているから、大統領制は独裁体制にならないというわけだ。

---韓国の三権分立は偽りの三権分立

 以上はアメリカの例を基にした大統領制三権分立の説明であるが、韓国もまた大統領制なので上記の説明の通りに事が進む・・・とは行かない。というのも、韓国における行政は完全に独立したものではなく、大統領が統治するものとなっている。つまり韓国は大統領が立法・行政・司法の三権の権限を持っているという事なのだ。あれ?三権分立してないじゃん、と思った人がいるかもしれないが実際の所はその通りで、韓国の三権分立はいわば、偽りの三権分立であると言えよう。

 ところがパククネ騒動において、この大統領の裏にもう一人の権力者がいることが分かった。それがチェスンシル氏だ。このチェスンシル氏が立法・行政・司法の権限の全てを持っていて、パククネ大統領はこれを国民に隠していたというのが、今回の騒動の真相だという事である。そしてチェスンシル騒動で韓国には実は三権分立がないことが世界に表明されてしまった。これに国民が怒っている・・・のだと考えられる。つまり、韓国の実態は偽りの民主主義国家であったことが、チェスンシル騒動で明らかになったという事なのである。なので、国民を騙していたとしてパククネ大統領は物凄い非難を浴びたというわけである。

---おかしな国の韓国を説明するのは厳しいです

 ・・・ここまで読んだ方々は色々と矛盾を感じたかもしれない。正直私もチェスンシル騒動と三権分立について記述していて、韓国がいかにおかしな国であるのかを実感した。はっきり言うが、韓国は民主主義国家ではないでは韓国とは一体何なのか?私もわからない。民主主義であるように見せかけたことをしているが実際は民主主義ではなく、国民も民主主義ではなかったことに怒っているらしいが、三権分立を理解していると、むしろ今更民主主義でないことがわかったのかよというレベル。つまり韓国という国は国民も政府も国という存在そのものが、破綻していたと言わざるを得ないだろう。だから現実や未来を見ないで過去の慰安婦にずっと縋り付いていて、北朝鮮の脅威が増しているにもかかわらず大統領叩きばかりをやっているのであろう。韓国はもはや国ですらない。この一言で韓国については終わりにできるが、これで終わってしまったら韓国を「反面教師」にすることができない。だからこれからも分析を続けていく。

・司法が大統領を裏切った

 話を戻して、元々民主主義でないことがチェスンシル騒動で露呈したのだから、今回「司法で」パククネを倒すことができたのは、確かに民主主義の勝利なのかもしれない。「司法で」というのがポイントで、先ほどの大統領制の解説と同じく、韓国の司法も大統領が権限を持っているものだ。つまり、一応は司法が独立していることを謳っている国家で、しかも大統領制の特徴により大統領は司法に一定の影響を与えることができるので、司法の段階で歯止めがかかるというシステムになっていたのだ。だからパククネは最後まで強気だったという事なのである。ところが、大統領が権限を握っているはずの司法が裏切った。これがパククネ大統領罷免の真相なのである。

 そして裏切った司法は大統領を裏切って国民の側についた。だから国民の勝利だという事なのである。しかしながらそれ即ち、国司法は大統領にも国民にも左右されるものだということでもある。つまり司法が完全に独立していないという事なのだ。その証拠は6人の弾劾裁判官全員が一致して罷免を認めたのが最たるものであろう。

・異常な韓国社会が6人全員の罷免賛成を生み出した

 なぜ6人全員が罷免を認めたのか?それはもし罷免に反対したとしたら、自分の身に何が起こるかわからない社会だったからであろう。これについてはこちらを参照すると理解ができるだろう。

 陰謀論になっちゃうかもしれないが、少なくとも事実として、パククネの弾劾に反対した人々から死者が出ているのだ。もし弾劾裁判官がパククネ大統領の弾劾に反対したら、どうなっていたのか?反対集会で死者が出る国なのだ。どんなに恐ろしいことが起こるのかわからない。そういう危ない国だからこそ弾劾裁判官は保身に走ったのだと推測できる。もしかしたら韓国は永久に健全な民主主義ができない国なのかもしれない。

 いずれにせよ、弾劾裁判官6人全員が国民感情に押されてパククネ大統領の罷免を決めてしまった時点で、韓国の司法は独立していないものだったと言えよう。

 ・国民感情に司法が動かされることの危険性

 では国民感情で司法が動かされることは、果たしてどうなのか?一見すると、国民によって法による裁きが下されるのだから、国民による政治行為である民主主義の名の下に行われる正しいことのように思える。しかしながら逆に言えばそれは、裁きを下すのは国民次第だという事になる。つまり国民が気に入らない人物は裁判でどんどん裁かれるという事になるのだ。

---国民の「誰」が裁くのか?

 では具体的にどういう「国民」が裁きを下すのか?そもそも国民感情とひとえに言っても、全ての国民が全く同じ感情を抱くことはあり得ない。これは人間社会の鉄則だ。そしてパククネの罷免に関しても、少数ながら反対する人々は存在した。だが反対派の集会で死者が出てしまった。むろん勝手に暴れてその副作用で亡くなった方もいたかもしれないが、少なくとも「反対で死者が出た」というのは大きい。そして先述したが、もし弾劾裁判官がパククネの罷免に反対したら、反対した裁判官の身に何が起きてもおかしくない状況だった。それが韓国という国なのである。つまり、行き過ぎた国民感情がパククネの弾劾以外は認めないという一種の同調圧力を生み出した結果、6人の弾劾裁判官はパククネの罷免を決めたのである。つまり裁きを下す「国民」というのは、特定の意見以外は認めない非常に偏った思想に染まった「国民感情」が裁きを下すということなのである。特定の思想以外は認めない人々が裁きを下すさまは、本当に健全な民主主義による行為だと言えるのだろうか?独裁者による独裁的な政治が、一部の国民による独裁的な政治に置き換わっただけではないだろうか?

・国民の「代表」の暴走を止めるために三権分立は生まれた

 そうした国民の暴走を止めるために生まれたのがまた三権分立でもあったりする。もし国民に三権を委ねた場合はどうなるのか?法律を作る権限も、法律に基づいて政治を行う権限も、法律に基づいて裁判を行う権限も全て国民に委ねられることになる。しかしながら、国民の全てが納得のいく法律は作ることはできない。同じことが政治にも裁判にも言える。結局国民に三権を委ねたとしても、では誰が代表としてそれを行使するのかという問題が生じてしまう。そして仮に国民の代表が現れたとして、ではその国民の代表が三権を行使するのか?国民が認めているのだから、国民の代表は三権を自由に行使しても良い事になる。なぜならば三権の権限がある国民の「代表」なのだから。そうして生まれる政治が独裁政治であり、この典型例がナチスドイツとヒトラーなのである。

 以前ブログにも記載したが、ナチスはメディアを使って自分達の支持を獲得した。その結果政権を獲得して誕生したのが、アドルフ・ヒトラー。実際にヒトラーは民主主義の選挙で生まれたという。そしてそのヒトラーが立法・行政・司法の全ての権限を持った結果発生したのが、あの独裁政治なのである。ポイントは国民に選ばれた指導者に権力が集まりすぎた結果独裁政治となってしまったという事だ。つまり民主的な手続きで政治の指導者を選んだとしても、その指導者に権限が集中してしまっては、結局独裁政治になってしまうという事なのである。この「指導者に権限が集中する」ことを防ぐために編み出されたものが、三権分立なのである。

 つまり国民に三権を委ねたとして、結局国民の代表がその三権を行使する代表者になってしまい、結果としてそれは独裁政治を生み出してしまう。なので、国民に三権を委ねてしまうのは、実は間違った行為なのである。

 この間違った行為を行いつつあるのが、韓国なのである。国民が感情に任せて立法・行政・司法の全ての権限を手にしてしまえば、その後で誕生する国民の代表は、国民の権限である三権を行使して、国民の支持を建前に独裁を行うであろう。それこそまさに第二のヒトラーの誕生だ。まあ韓国という国の特異性上、「韓国版のヒトラー」は誕生しないと思われるが、いずれにしろこのままの状態では韓国の三権分立は崩壊して、韓国は民主主義国ではなくなるだろう。とっくの昔に民主主義国ではなかったとは言ってはいけない