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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

小池劇場を始めとした「劇場型政治」はなぜ成立してしまうのか?

メディア・リテラシー 劇場型政治

・まずはお詫びから

 まずはお詫びから。小池百合子氏に関しては以前ブログに書いたことがある。その記事において私は小池百合子氏を応援するかのような記述を行った。実際に東京都知事選挙の時も、投票権はなかったが小池百合子氏を応援していた。

 そうやって当選した小池百合子氏の政治があんな形になってしまったことは、応援した身からすれば、深くお詫びをしたい。まあ本当に詫びるべきは当選させた都民なのかもしれないが。

 そもそもまだ就任して一年も経っていないのに評価していいのか疑問に思うかもしれないが、少なくとも豊洲市場への移転延期で無駄なお金が豊洲の維持費として使われていることは事実だ。もしも小池都知事ではなかったら、無駄なお金を費やさずに築地市場から豊洲市場への移転が、スムーズに行われていたかもしれない。本来使われるはずのなかったお金が使われてしまっているという点では、小池都知事に対してマイナスの評価をせざるを得ないだろう。

 とはいえ以前のものにも書いたが、結局最終的には都民次第。以前の記述では小池都知事を引きずりおろそうとするメディア工作が横行する可能性があるので、それに都民は惑わされないようになるべきだと書いた。蓋を開けてみたら、逆に小池都知事を持ち上げる形で工作が行われる結果となったことはさすがに想定外だった。が、どちらにも共通することは、メディアと都知事の繋がりだ。前者はメディア対都知事の構図だが、後者はメディアと都知事が癒着しているという構図だ。そしてどちらにしろメディアが大きな力を持っていることに変わりはないので、結局メディア報道に惑わされない東京都民が東京都政を正常化させるべきという最終結論に変わりはない

 小池都知事を応援したことについてはお詫びしよう。が、最終的には都民が自分の頭で考えて都政を行っていくべきだという考えに変わりはない。まず最初にこのことを記述しておこう。

・小池劇場を始めとした劇場型政治とは?

 前置きは以上にして本編に入る。今回の記事では小池劇場を始めとした劇場型政治について書いていきたいと思う。劇場型政治とは何かというと、単純明快なキャッチフレーズを打ち出し、マスメディアを通じて広く大衆に支持を訴える、ポピュリズム的政治手法のことを言う。劇場型政治として有名なものは小泉純一郎政権時代の小泉劇場がある。小池百合子都知事本人も小泉政権時代に当選したいわゆる小泉チルドレンと呼ばれる人だ。そんな小池百合子氏が行う政治が劇場型政治になることは、冷静に考えれば予想できたものかもしれない。

 劇場型政治のポイントはマスメディアを活用するということだ。つまりマスメディアが劇場型政治には欠かせないという事だ。マスメディアを利用した政治=劇場型政治という単純構造にはならないかもしれないが、マスメディアが存在しなければ劇場型政治は成立しないのは確かだ。

---ヒトラー劇場型政治を行っていた?

 このメディアとの関連性を考えると、実はとある政治が劇場型政治なのではないかという疑問が出てくる。それはナチスドイツだ。ナチスドイツはメディアを使って自分達の主張を広めた。この政治戦略の成功によりナチス党は当時のドイツで強い支持を獲得し、その結果誕生したのがあのアドルフ・ヒトラーだ。今でこそヒトラー時代のドイツは独裁政治だと言われていて、ヒトラーこそが悪者だと言われているが、そのヒトラーを誕生させたのはナチスのメディアを使ったプロパガンダに惑わされてしまった、当時のドイツ国民だ。つまりナチスドイツはポピュリズム的政治手法によって台頭してしまったという事なのだ。こういう風にして考えると、ナチスドイツもといヒトラー政治もまた劇場型政治であったと言えよう。まさにヒトラー劇場である。実際の所ヒトラーは演説が上手だったとのことで、ヒトラー劇場は彼の政治にぴったりの表現だと考えている。

 こういう風にして考えると、劇場型政治というのは実は最終的には独裁政治を生み出す可能性のある危険な政治であることがわかる。今小池百合子都知事がまさにこの劇場型政治を行っていて、それが小池劇場として世論を賑やかしている。

・2017千代田区長選挙からわかる小池劇場

 実際の所、小池劇場は成功していると思われる。それは2017年2月5日に行われた千代田区長選挙からわかる。

 注目すべきは投票率だ。投票率自体は53.67%と決して高い数字ではないが、これでも千代田区単独の選挙の投票率としては過去最高の数字だという。逆に今までの数字が低すぎるだろ・・・。過去最高の投票率を記録した上で小池陣営の石川雅己氏が圧勝で当選した。これはまさに劇場型政治が成立している証拠であり、また千代田区民はメディア報道で選挙に赴いたことがわかる証拠でもある。本当にそうなのか?と疑問に思う人がいるかもしれないが、そんな方には次の質問を与えよう。なぜ過去最高の投票率を記録した?

劇場型政治が成立してしまう本当の理由

 ではこうした小池劇場を始めとした劇場型政治はなぜ成立してしまうのか?先ほども述べたが、劇場型政治はメディアを活用しなければ成立しないもの。しかしメディアを活用したところで、国民がメディア報道を信用していなければ劇場型政治は成立しない。メディアを活用するだけでなく、国民がメディア報道を信用しているという社会環境が存在していなければ、劇場型政治は成立しないのだ。つまり小池劇場が成立しているのは、メディアを活用する政治主導者(小池百合子メディアに動かされる群衆(東京都民)がいるから成立しているのである。政治指導者と群衆を結び付けているのが、メディアだという事だ。

劇場型政治は民主主義の政治なのか?

 ではそんな劇場型政治は果たして民主主義の政治だと言えるのだろうか?広義の意味で言えば、民主主義の政治であろう。なぜならば民主主義の基本原則である国民による選挙での政治決定が行われているからだ。問題は政治を決める際の動機だ。普通の民主主義の選挙においては、国民は政治家や政党の基本政策を始めとしたさまざまな情報を収集して、自分の頭で国が良くなるためには誰に投票すればいいのかを考えて投票を決める。これが民主主義における基本的な投票行動であろう。

 では劇場型政治はどうなのか?劇場型政治の場において、国民は自分の頭で国の事を考えて投票に行くのか?答えは否であろう。劇場型政治はメディアを活用する指導者とそれを鵜呑みにしてしまう国民がいなければ成立しない。つまり劇場型政治における国民の判断は、自分の頭でしっかりと考えた上で行う判断ではなく、メディア報道による判断の方が強くなってしまうのである。確かに国民が投票に行って政治が決まるという意味では劇場型政治も民主主義の一種であるが、その政治判断はメディアによって植え付けられた特定の価値観によってなされるものであり、自分の頭でしっかりと考えた上で行われる判断ではない。判断を植え付けられるという点では、劇場型政治は洗脳政治に等しいだろう。実際にナチスドイツが当時のドイツ国民を洗脳させて、民主主義の選挙でヒトラーを誕生させたという経緯がある。そんな劇場型政治は、果たして本当に「民主主義の」政治であると言えるのだろうか?そして劇場型政治が成り立ってしまう社会は、健全な民主主義の社会だと言えるのだろうか?

劇場型政治において自分の頭で考える人は少数派になってしまう

 とはいえ、劇場型政治においてもきちんと自分の頭で考えて政治選択を決めている国民もいるのは確かだ。だがそういう人達は結局の所少数派になってしまう。もしも劇場型政治において自分の頭で考えて政治を判断する層が、劇場型政治の指導者とは違う人や勢力に政治家になってもらいたかったとしても劇場型政治の指導者を支持する多数派には負けてしまうのが現状だ。むろん自分の頭で考えた結果、劇場型政治の指導者が良いと思って投票することだってあるだろう。だが劇場型政治の歴史上、仮に自分の頭で考えた上で良いと判断した劇場型政治の指導者だったとしても、最終的に碌な結果を残していないという結末が待っている。これに関しては過去の劇場型政治の指導者を挙げてくるとわかる。詳しくは別の記事にまとめるので、そちらを参照してもらいたい。

劇場型政治の嫌らしい部分

 まとめると、劇場型政治というのは健全な民主主義を潰してしまう政治だという事だ。更に劇場型政治の最も嫌らしい点として、広義の意味では民主主義政治だという事が挙げられる。実際に政治選択を決めるのは、たとえ偏った思考に染まっていたとしても、国民だ。それが意味するものは何か?仮に劇場型政治の指導者が行う政治が国益を損なうものでその責任を問われた時、劇場型政治の指導者は、「私は国民の支持の下に政治を行ってきた。私の政治が間違いだったというのなら、なぜ国民は私を支持したのだ?私を支持した国民が悪いのではないか?」といって自身の責任を国民に転嫁させることが可能になってしまう。

 同じことはマスメディアにも言える。マスメディアは単純に報道した「だけ」であり、最終的に政治決断を下したのは国民だ。例えマスメディアの報道を鵜呑みにしていたとしても。マスメディアもまた「自分達は報道しただけで、政治決断をしたのは国民なんだから、我々に罪はない」と扇動の責任逃れができてしまう。というか、それをずっとやってきたのが日本のマスメディアではないか?マスメディアにしろ指導者にしろ、劇場型政治においては自分達で扇動した責任を国民に押し付けることができてしまうというのが、劇場型政治の恐ろしさであろう。そんな劇場型政治は、民主主義というよりも独裁主義に近いものではないかと考えられる。

劇場型政治から脱却するためには・・・

 ではそんな劇場型政治から脱却するためにはどうすればいいのか?何度も述べるが、劇場型政治はメディアを活用する政治戦略であり、国民がメディアを信用するから成り立つ政治だ。ということは単純明快に、国民がメディアを信用しなくなれば劇場型政治は成立しないという事なのである。劇場型政治から脱却したければ、国民がメディア報道を鵜呑みにしなければいいだけなのである。

---メディアリテラシーを養えば劇場型政治からは脱却できる

 具体的には、メディアリテラシーを養えばいいのである。実際にメディアリテラシーは、ナチス党のメディアを使ったプロパガンダに危機感を抱いたローマ教皇庁を始めとしたイギリスの識者たちが生み出した発想が元祖だと言われている。そしてナチス党のメディアを使ったプロパガンダこそが劇場型政治だと先述した。即ち、劇場型政治の対抗策がメディアリテラシーなのである。

 では具体的にどうやってメディアリテラシーを養えばいいのか?これは単純に教育で教えればいいだけの話だ。実際に世界では義務教育でメディアリテラシーを教えている国が、時代が進むにつれて増えている。日本では情報リテラシーという名でメディアリテラシーが教えられている、と思う人がいるかもしれないが、実はこの情報リテラシー、厳密どころかメディアリテラシーとは全く異なるものである。詳しくは私のブログの中の「メディア・リテラシー」の項目にある文章を参照してもらいたいが、日本で教えている情報リテラシーメディアリテラシーの一部ですらない。メディアリテラシー全体を10とすると、日本の情報リテラシーはそのうちの、大目に見て一割しか教えていない。実際の所は一割以下のものだと考えている。

 世界で教えているメディアリテラシーがどういうものなのかはこちらの記事を参照にしてもらいたい。そしてより詳しく知りたい方は、その記事で引用した書籍メディア・リテラシー~世界の現場から~」を読むことを強くお勧めする。私立等の図書館でも借りられるだろうし、値段も1000円以下とお手ごろなので、是非読んでみることをオススメします。

 話を戻して、日本では厳密にはメディアリテラシーを教えていないのだ。メディアリテラシーの究極的な目標は、メディアを批判的に読み解くための力を養うことで、民主主義をより健全に、より強固にしていくことが目標だ。メディアを批判的に読み解くことは前提であり、今の時代ならば、その先にある直接民主主義を目指すのが21世紀のメディアリテラシー教育だと考えている。この前提すらできていないのが日本なのだ。日本の教育は世界と比べてもはるかに後進的なのである。だからかつてナチスが台頭したような劇場型政治が、2017年の今現在も通用してしまうのである。なので劇場型政治から脱却するためには、メディアリテラシーを公教育で教えなければならない。

---環境的にメディアリテラシーを公教育で教えるのが難しい日本

 だがメディアリテラシーを日本の公教育で教えるのには、いくつかの問題がある。今回の記事では詳細は省くが、具体的には、

①今から教えるには教員育成や日本政治の歩み等で時間が足りなさすぎる。

②仮に今から教えたとしてその教育の成果が実るのに10年以上かかってしまう。

③そもそもメディアリテラシーを教えることを認めてくれる社会環境なのか。

 そもそもの日本という国の現状がメディアリテラシーとは相性の悪い環境になってしまっている。世界の新常識から考えると、メディアリテラシーはこれからの未来に必要な概念で、本来相性の良し悪しなどないはずだが、現実的にメディアリテラシーが未だに日本で養われていないという現状がある。じゃなければ未だに小池劇場という名の劇場型政治は成立していないはずだ。そんな日本社会でメディアリテラシーを公教育に導入するのは、まだまだ時間がかかると言えよう。世界では2000年に入ってから急速に発達しているというのに・・・。

---メディアリテラシーがなくても、大人がメディアを鵜呑みにしなければ劇場型政治からは脱却できるはず

 そしてメディアリテラシーが未だに教育で教えられないという事は、劇場型政治からの脱却が難しいという事だ。とはいえ、別にメディアリテラシーを教育で養わなくても劇場型政治から脱却することはできる。単純にメディアを信用しなければいいのだ。その最適な手段としてのメディアリテラシーというだけだ。つまり教育で未来の世代にメディアリテラシーを教えなくても、現役世代がメディアを鵜呑みにしないで自分の頭で考えて政治決断をすればいいだけの話なのである。では日本人はそれができるのか?できないから千代田区長選挙で過去最高の投票率を獲得して小池陣営が勝利して小池劇場が成立していることが表に出たのだし、小泉劇場民主党への政権交代といった過去の劇場型政治が行われてしまったのである。むしろ過去に小泉劇場民主党への政権交代という名の劇場型政治が行われたにもかかわらず、2017年の今現在再び小池劇場が成立していることから、過去の反省は全く行われていないことがわかる。そんな日本人が自分の頭で政治判断を行う事なんか、無理だというのは、まごうことなき事実であろう。

・自分の頭で考える人が増えているなら、投票率は上がっているはず

 とはいえ、最近はネットの発達で自分の頭で政治を考える日本人が増えているのも確かだ。だがそれは未だに日本国民全体から考えると、少数派なのは間違いない。直近で行われた2016参議院選挙の投票率もまた劇的な改善にはつながっていない。

 私は本当に日本人に自分の頭で考える人が増えた時は、投票率が上がるのではないかと考えている。なぜかといえば、そもそも世界の投票が自分の頭で考えて政治選択を決める投票になっているからだ。実際に世界の投票率の推移は大体6割以上を占める国が多い。

 まあフランスやアメリカといった国々も投票率が低いが、前者はそもそも日本とは国の環境が違う(欧州連合的な意味で)、後者はそもそも選挙権すら持っていない米国民が多く、投票権を持っている米国民とそうでない米国民との隔離の数字が投票率に現れているというだけの話だ。少なくとも、完全独立国で基本的には国民全員に投票権が与えられている先進国の国の中では、日本が一番投票率が低い国なのは間違いないだろう。

 では世界の国々がなぜ投票率6割以上の水準を占めているのかといえば、それは投票行動が民主主義社会の住人における当たり前の行動であることを理解し、国民が政治を決めることの大切さを自覚しているからだ。国民が政治を決めるという事は、決断に責任が伴うという事。だから世界の国々は投票を真剣に考えて行う。その結果が6割以上という高い水準の投票率なのだ。この民主主義国家としての当たり前が日本人は意識できていないから、投票率が先進国の中で最も低いのである。先ほど述べた「日本人が自分の頭で考えるようになったら投票率が増えるはず」という私の意見は、こういう観点から述べていることなのである。なので、たとえネットで真実に目覚める人が増えている!と言われても、実際に自分の頭で考えて投票を行い、最終的な投票率が上がらない限りは、日本人は未だに愚衆のままだと言えよう。日本人が劇場型政治の愚衆から脱却できる日が来るのか?そう遠くない未来に来てくれることを私は願いたい。

・まとめ

 長々と書いてしまったので、最後に要点だけまとめて終わりとさせて頂く。

劇場型政治とは何か?→単純明快なキャッチフレーズを打ち出し、マスメディアを通じて広く大衆に支持を訴える、ポピュリズム的政治手法。代表的なものが小泉劇場や小池劇場・ヒトラー劇場。

劇場型政治は民主主義の政治?→広義の意味では国民が投票で政治決断を行うので、民主主義の政治なのは確か。しかしその実態は特定の価値観を植え付けられる洗脳政治で、洗脳する側もいざとなれば国民に責任を転嫁することができるので、独裁政治に近いものだと考えられる。

・どうして劇場型政治は成立してしまうの?

国民がメディアを信用しているから。

ということは、国民がメディアを信用しなければ劇場型政治はできない?

YES。

じゃあなんで日本人はメディアを疑うことができないの?

メディアリテラシーを教育で教えていないから。

じゃあ教えればいいじゃない。

それができる社会環境ではない。日本の教育と社会は実は世界と比べて10年以上遅れている国なんだ・・・。

でもネットで真実に目覚める人が増えているよ?

目覚めるだけで投票に行かなければ意味はありません。日本が本当に劇場型政治から脱却できたときは、いわゆる「風が吹いた」と言われない選挙の時に投票率が65%を超えた時だと考えています。