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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

シリーズ:ノストラダムス④ノストラダムスの詩は本当に予言の書なのか?

・初めに

 ノストラダムスシリーズの第4弾となります。

 シリーズ一覧はこちら↓

http://2segno6dall.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%BA%88%E8%A8%80

 

ノストラダムスの詩は本当に予言の書なのか?

 これまで三回に渡ってきてノストラダムスの詩について考察してきた。今回は本当の根本、そもそものノストラダムスの詩自体が本当に予言の書なのか?について考えてみたいと思う。

 現在世界ではノストラダムスの詩に書かれていることが相次いで起こっていると言われている。ノストラダムスの研究者は現実世界で起こるノストラダムスの詩に酷似した現象を、ノストラダムス・エフェクトと呼んでいるとのことだ。その最たるものがこれまで取り上げてきた反キリストであり、第一・第二の反キリストとして実際にナポレオンとヒトラーが現れている。

 だがナポレオンもヒトラーもぶっちゃけ、こじつけようとすればいくらでもこじつけられる。例えば、「PAU, NAY, OLORON」の文字を入れ替えると「NAPOLAON ROY」となるが、ロイは厳密にはROIが正解だ。PAU, NAY, OLORON」で一人の人間の名前となるならば、なぜ王を意味する「ROY」を入れたのか?ヒトラーに関しては「HISTER」という名前と語源が似ているだけで、出自や行ったことに関してもいくらでもこじつけられる。「イタリアの近く」や「西欧の奥地」といった言葉も範囲が曖昧すぎてこじつけようと思えばいくらでもこじつけられる。そしてローマ教皇に対する注意喚起の詩は、それを見たナポレオンが実際に実行した可能性だってある。詩の通りに実行したことが果たして「予言」と言えるのだろうか?このように予言というのはこじつけようと思えばいくらでもこじつけられるのである。

---推測:恐怖の大王の詩の真実

 ノストラダムスの予言を始めとした宗教系の予言で有名なものに、1999年に恐怖の大王が空から降ってくるという内容のものがある。ノストラダムスの詩にもそれは書かれている。

・In the year 1999 and sevenmonths, a great king of terror will come from the sky.

 (1999年7の月、恐怖の大王が空より来る)

 恐怖の大王が空より来なかった現代、ノストラダムスの研究者の中にはこれを9.11のことだとしている人がいる。1999を反対にすると9111になるとのことだ。が、いくら何でもこじつけすぎると私は考える。仮に9.11だとしたら、7の月はどこにいった?ってか1多いわ。

 この詩を読み解く鍵として重要なのは、7という数字に隠された意味だ。そもそもキリスト教において7という数字は聖書的には完全数とされている。キリスト教で7といえば、ヨハネの黙示録(至る所で7が使われている)・七つの大罪・七つの大天使といったものが思い浮かぶ。キリスト教における7というのは特別な数字だ。恐らくノストラダムスは1999年という世紀末の、7というキリスト教完全数の月に何かが起きることを、期待して書いただけだと思われる。恐らくヨハネの黙示録の影響もたぶんに受けていたからこういうことを書いてしまったのだと思われる。実際に1999年の7月に何かが起こったかというと・・・飛行機関連のトラブルが相次いでいたぐらいである。恐怖の大王と言える出来事は起こっていない。

 よって恐怖の大王の詩はただの詩であることがわかる。このようにこじつけようと思えばいくらでもこじつけられるのが、ノストラダムスの予言の正体なのである。

・予言と呼ばれるものの正体

 そもそも人は予言の書を書くことができるのだろうか?予言の書といえば、最近の日本ではこんな本が予言の書だと言われている。

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 以前なんか記事を書いたが、実際にこの本を読んだ人々は、この本の通りに中国や日本企業・反日日本人などが行動を起こしていることから、この本を予言の書だと言い、日本の未来に対する危機感を抱いている。最近では日本の危機とカエルの楽園を混ぜてより深くシミュレーションした以下の本が出版されている。

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 どちらも読む価値のある本なので、まだ読んだことのない方は読んでみることをオススメする(ただし地方の場合は下の本が書店で売っていない可能性が高いので、ネットで購入することをオススメします)。

---カエルの楽園は本当に予言の書

 この「カエルの楽園」という本は本当に予言の書なのか?作者の百田尚樹氏いわく、「こうなってほしくないという思いを込めて書いた」とのことだ。それがどうして予言の書だと言われるようになってしまったのか?百田尚樹氏は作家であるが、彼の著作である「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」などは綿密な取材を行ったうえで書いたものだ。つまり彼は知識を得てから物語を書くという事である。カエルの楽園も中国の行いやそれに乗っかる反日日本人や韓国人、日本社会の現状といったものを十分に取材・研究・考察して独自に解釈した上で、カエルの物語として書いただけに過ぎないものだ。カエルの楽園は予言の書というよりも、シミュレーションの本というのが正解だと思われる。

---予言の書は未来をシミュレーションした物語

 こういう風にして考えると、カエルの楽園ノストラダムスの詩も未来をシミュレーションして書いただけのものだという事がわかる。カエルの楽園の場合は、精々70年間の日本の歩みを踏まえた上での近未来のシミュレーションという事だから、現代日本に恐ろしいほど合致しているだけのことだ。一方のノストラダムスの詩は、何百年も先の未来をシミュレーションしたもの。だから所々似ている部分があるが、基本的に外れてばかりいるものになっているという事である(それでも所々似ている辺り、彼の先見性が異常なほど優れていたのは間違いないだろう)。そしてどちらも、過去の歩みから生じている今を分析した上で未来のシミュレーションを行った作品となる。

---過去と今をしっかりと分析すれば、未来を予測することはできる

 ①の記事で書いたが、ノストラダムスは超現実主義者だったのではないかというノストラダムスの研究者の主張がある。そして百田尚樹氏も、彼の出演している番組やtwitterを見れば、現実主義者であることがわかるだろう。ノストラダムス百田尚樹氏も現実をきちんと理解したうえで未来を予測したのだ。それが当たっているという事は、未来は現実を細かく分析すれば予測することができるという事。つまり人間の歩みは現実を見れば予想できるということだ。

 私は数多ある予言や予言の書と言われているものの正体がこれだと考えている。言ってしまえば、単純な人間という名の種族が起こすことを予想したものが予言の書になってしまうという事である。それ即ち、その気になれば誰でも予言者になれるという事だ。過去の歴史や今までの歩みをきちんと理解した上で未来を読み説けば誰でも予言者になれる。予言者というよりも、シミュレーションゲームの製作者といった方がいいかもしれないな。予言と呼ばれるものは未来を想定したシミュレーションゲームなのである。そしてシミュレーション通りに人間が事を起こしてしまうというのは、人間という生き物の単純さを証明してしまっていると私は考える。

・なぜノストラダムスは詩を残そうとしたのか?

 予言と呼ばれるものの真実は過去と今を踏まえた上での未来のシミュレーション。だとしたら、ではなぜ人は未来のためのシミュレーションをするのか?どうしてノストラダムスは詩を残したのか?その答えは、カエルの楽園にあると私は考えている。

 なぜ百田尚樹氏がカエルの楽園を出版したのか?先にも書いたが、こうなってほしくないという思いを込めて執筆し出版した。カエルの楽園はシミュレーションの本であると同時に、特に日本人にこんな未来になりかねないことを警告する本でもある。実際に「こんな未来になりかねませんよという皮肉な警告のつもりで書いた」という百田さんの言葉が「カエルの楽園が地獄と化す日」のあとがきに記されている。百田さんはあくまでも寓話として書いただけに過ぎないのだ。

 ノストラダムスの詩もある種の寓話的な面があると私は考えている。全部の詩を読んだわけではないし、そもそも全ての詩を完璧に日本語に翻訳したものが未だにないとのことなので、日本人の身からすればノストラダムスの詩は寓話なのかどうなのかの判断ができないかもしれない。が、反キリストの恐ろしさを記載していることから、人類に対する警告的な意味を含めて詩を書いたのは間違いないだろう。人類に対する警告を込めて書いたという部分はカエルの楽園と全く一緒だ。ノストラダムスの詩が寓話かどうかはさておいて、人類に対する警告書としての面があることは確かだろう。ノストラダムスも百田氏同様、過去と今を分析した上で予想した悪い未来を警告する思いで詩を書いたのだと私は考えている。

 実際にノストラダムスの研究者も、ノストラダムス・エフェクトが起こっている現在と起こる可能性のある未来を悲観的に見るか前向きに見るかで世界は変わると述べている人もいる。私はこれが本当の結論だと考えており、ノストラダムスが本当に伝えたかったものも、これなのではないかと考えている。ノストラダムスが詩を書いたのは、人類を正しい道に導くためだと私は考えている。

・今回はここまで

 今回の記事はここまでとする。ノストラダムスの詩は過去と今をしっかりと分析した上で未来を予測したシミュレーションであり、その詩で伝えたかったことは、詩の通りの道を歩まないように人類は賢くなってほしい、という事だったと私は考えている。次回は現代で起こっているノストラダムス・エフェクトを紹介し、それがもたらす未来をノストラダムスのように予想してみて、私たち人類はどのように行動すればいいのかについて書いてみたいと思う。