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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

コラム:テリーザ・メイの演説からわかるメディア・リテラシーの重要性

my thinking メディア・リテラシー

 

 コラムと題して、一か月前にイギリスのテリーザ・メイ首相が行った演説内容についての短い文章を書かせていただきます。

・テリーザ=メイの演説内容

 11月3日に知った情報だが、一か月前にイギリスのメイ首相が党大会で演説した内容にこんなものがあった。

金融危機の後に最大の犠牲を払ったのは富裕層ではなく、一般の労働者階級世帯だ。家計の支払いが一気に増えたのに仕事を失ったり、就労時間を減らされたり、給料が下がったりした人なら。あるいはこれを認めたくない人が大勢いるのは知っているけれども、低技能移民のせいで職を失ったり、給料が下がったりした人なら、世の中は全く不公平だと思うはずです。他人のせいで自分の夢が犠牲になったと、そういう感じがするでしょう。こういう感情を、メディアはバカにしてきた」

「政界やメディアと一般市民との分断が起こっている。市民の愛国心を不快だといい、移民問題を心配するのは視野が狭い。犯罪についての考えはリベラルではないと言い、職を守りたいという気持ちは不都合だと市民を見ている。1700万人以上もの人が欧州連合から出たいと投票した事実に対して、むしろ政界やメディアの人達はひどく混乱してしまっていて全く受け入れられずにいる」

 注目したいのは二つ目の内容。国家の首相がメディアの問題に追及しているのだ。これは政治大国と言われたイギリスだからできることだと私は考える。ちなみにこれはトランプ現象と全く同じであり、いわゆるリベラル派の政治家やメディアがトランプ現象やEU離脱を理解できないでいるということを意味している。

・日本で首相がメディアについて言及したらどうなる?

 日本で同じようなこと、首相がメディアの報道に疑問を感じるとコメントしたらどうなるだろうか?日本のマスメディアは言論弾圧だと首相を非難するだろう。ちなみにこの一連の流れは、メディア側からしたら当然の反応である。そりゃ報道側からすれば自分達の報道に公平性がないと言われたら反発するに決まっている。自分達は公平だと思って報道しているのだから。問題はこのメディアの非難に国民が同調してしまうかどうかだ

 イギリスの場合は、国民はメイ首相の言葉に耳を傾けている。そもそも国民の気持ちを代弁してくれたのだからな。日本で同じようなことが起こった場合、国民は首相の言葉に耳を傾けるだろうか?ネット層は耳を傾けると思われるが、ネットをあまり活用しないテレビや新聞での情報収集がメインの一般層はどうだろうか?私はテレビの当たり前の主張に同調して政権叩きを行ってしまうと私は考えている。つまり首相がメディアの公平性に疑問を感じる発言をしたら、国民から盛大に叩かれてしまう空気が日本にはあるのだこの空気こそが日本を真に支配しているのはマスメディアであるという証拠なのである。

メディアリテラシーを教育で教えることの重要性

 イギリスと日本でどうしてこうも違ってしまうのか?それはメディアリテラシーの教育を行っているか否かだと考えている。とりわけて国を動かす現役世代がメディアリテラシーの教育を受けているか否かというのが一番大きい

 イギリスはメディアリテラシーの発祥国であり、1960年代から教育カリキュラムにメディアリテラシーが導入されている。一方の日本は1990年代になってメディアリテラシーを導入するようになっていて、そのメディアリテラシーも情報機器を扱う伝える側のメディアリテラシーが主流で、受け手側の報道を批判的に見るメディアリテラシーは教育で教えられていない。つまり教育でメディアリテラシーを教えているか否かで、首相と報道側の対立を国民がどう受け止めるかが変わってくるのだ。イギリスはメディアリテラシーを教育で教えてきたから、メイ首相の言葉に耳を傾けていて、今もメイ首相は首相の座にいるのである。一方の日本はメディアリテラシーを教育で教えていないから、首相が報道に疑問を呈しても、報道側のレッテル貼りに乗っかってしまい、最悪の場合は辞任にまで追い込ませるようなことをしてしまう。あくまでもIFの話だが、そうならないと100%自信をもって断言できるだろうか?

 メディアリテラシーを教育で教える」

 これ一つで国と報道とのパワーバランスががらりと変わってしまい、それは政治にも作用されてしまうのだ。そのぐらいメディアリテラシーは重要なのであり、それが今も義務教育で教えられていない日本は、メディアのパワーが首相よりも強い、メディアが最高権力者の国になってしまっているのである。メディアリテラシーを教えているか否かが日本とイギリスの違いなのだ。

・筆者の主張

 最近言われ始めたメディアリテラシー。これに関して読者の方々はどう思うだろうか?憲法改正や中国問題、経済回復に比べたらあまり重要ではないと思っている人が多いだろう。しかしながら、本当はメディアリテラシーは日本をがらりと変える力を持つほどの超重要なものなのだ。それは首相が報道について言及したらどうなるのかを想像してみたらわかる。国民の代表でもある首相がどうしてメディアに操られた国民によって非難されなければならないのか?それはメディアの力がとてつもなく強いのであり、どうして強いのかと言えば、教育で報道を疑問視することの重要性を教えていないからだ。そんな日本においてメディアリテラシーを教育で教えるようになれば、間違いなく社会全体が変わる。

 メディアリテラシーは実はそんなに力強いものではない。そもそもナチスに対抗するために生まれたただの概念に過ぎない。しかしその概念は日本という特殊な環境がある国においては、国を変えるほどの力を持つものになってしまうのだ。

 私は日本を本当に復活させたいのなら、憲法改正を行ったり、景気回復をする前に、メディアリテラシーを教育で教えるべきだと考えている。

 

 今回のコラムでメディアリテラシーの重要性を少しでもご理解いただけたら、大満足です。