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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

なぜ日本人は「メダル」を異様なまでに求めるのか?日本スポーツのメダル至上主義をぶった切る

・初めに

 この文章は日本スポーツのカテゴリーの文章となります。完全に個人の主観でしか書いていないので、ご注意ください。

 

・メダル至上主義

 今回はメダル至上主義に関して述べたいと思う。メダル至上主義とは何かというと、特にオリンピックにおいて、メダル(特に金メダル)の獲得を異様なまでに社会全体として熱望することを言う、私が作った言葉だ。昨今開催されているリオ五輪では日本人選手が目まぐるしい活躍をしている。連日金から銅のメダル獲得が報道されるほどの凄い勢いだ。私は選手のメダル獲得自体は凄いことだと思っているし、よく頑張ったと称賛したい。だが同時に日本社会はメダルの獲得に必死になっていて、選手に負担を押し付けていないのかと懸念を表明していたりする。特に金メダルを獲得できないで銀・銅メダルの獲得に終わってしまった選手に対しては、日本社会は頑張ったという検討を称える言葉よりも残念という言葉の方が多く見られていると私は感じる。選手本人も銀・銅という十分な結果にもかかわらず、金メダルを獲得できなくて悔しいと述べている選手が少なくなく見られる。とはいえ、銀・銅でもメダル獲得に変わりはなく一応おめでとうと健闘を称えている節が見られることも十分理解している。だが一方でメダルを獲得できなかった選手に対する扱いはどうだろうか?メダルを獲得した選手に比べれば扱いが冷たいような気がする。例えばの話で、とある種目において日本人の最高記録順位を更新したとしても、メダルが獲得できなければ称賛されない社会なのだろうか?ここまで異様にメダルに社会全体で執着するのはなぜなのだろうか?と思って書くことを決めたのが、今回の文章である。

 今回の文章では日本はメダル至上主義を細かく分析し、どうしてそのようになってしまったのかやメダル至上主義が招く弊害について述べたいと思う。

福士加代子選手の炎上騒動

 まずはこちらの記事を読んでもらいたい。

 リオ五輪において女子マラソンで惨敗してしまった選手の発言が物議をかもしているという。そもそも五輪で頑張った選手に対する「惨敗」の表現自体がいかがなものだろうかリオ五輪陸上女子マラソンにおける日本人選手の順位は以下の通りとなっている。

  福士加代子:14位 田中智美:19位 伊藤舞:46位

 出場選手は157名で日本人選手3人は全員完走している。157名の選手の中で最低が46位のどこが「惨敗」なのだろうか?確かにかつての女子マラソンはオリンピックでメダルを獲得できていたが、メダルを獲得できなかっただけでこうもバッシングを受けなければならないのだろうか?このような上から目線の評価は日本の選手だけでなく、他の国の選手に関しても失礼極まりないと私は思う。

 その中で最高順位を獲得した福士加代子選手の発言が物議をかもしているという。内容はこうだ。

金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ! 暑いけどなんか、しんどすぎて、いろいろなことがしんどすぎて。でも金メダル目指したから最後までがんばれました」

「マラソンはね、きついな。ここまでの過程も、レースも全部苦しいけど、オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ。苦しいけど。もう泣きたい」

 これのどこが問題なのだろうか?金メダルを目指して最後まで頑張ったと述べているのだから良いではないか。そして彼女の順位は日本人選手としては最高順位。そんな彼女がなぜ非難されなければならないのか全くもって理解できない。

 非難している方々の意見も取り上げよう。

・「この結果でヘラヘラしながらメダル云々を口にするのは余りに品がない」

・「惨敗したのに『楽しい』なんて口が裂けても言えない」

・「日の丸を背負っている意識がまるで感じられず、最初から五輪出場を自分のためだけの記念レースだと思い込んでいたのだろう」

・「聞いていて本当に腹が立った

 恐らく一部の声の大きい人たちが反発しているだけに過ぎないと思うが、腹が立つのはむしろこちらの方だ。まあこういう人達は典型的なネット脳(別名2ch脳。現在では必ずしも2chだけに見られるものではなくなったからネット脳と私が呼んでいたりする。まあ結局2chが総本山なのに変わりはないんだけど)なのでこういう意見は無視するのが一番いい。だが「炎上騒動」になっている以上、一定数の人間は彼女の発言を不満に思っているのは間違いない。とはいえ、どんな結果になろうとも一定数はその選手を評価しない人はいる。例え金メダルを取ったとしてもね。そういう人々は極々少数派であるはずなのだが、今回の福祉選手の発言に関しては一割未満の少数派が騒いでいる問題ではない。それは炎上という表現を用いていることから容易に想像できる。

 どうして彼女の言葉が炎上してしまったのか?メダルを取れなければ選手として失格なのか?これこそがメダル至上主義に染まっている証拠であり、弊害といっていいだろう。最初の方でも述べたが、157名中の最低46位であり、最も高い順位でも14位だ。普通の国の普通の感覚だったらよく頑張った、と健闘を称えるのではないだろうか?国内で待っていたのは日本人選手失格というあまりにも選手の事を考えない罵声であった。どうしてこんなことになってしまったのか?それはメダル獲得が絶対正義であるという固定概念と広く物事を見ることができない視野の狭さが原因であろう。この固定概念にとらわれることと視野が狭いことは今の日本人の特徴でもあったりする。メダル至上主義はこうした日本人の特徴が現れた、まさに日本らしいものであると言えよう。そのメダル至上主義に染まった結果が福士選手の炎上だとしたら、メダル至上主義は良いものではないということがわかる。

・日本社会特有のメダル至上主義

 日本社会でなければメダル至上主義が蔓延することはない(が、後述するが韓国でもメダル至上主義は横行する可能性がある)。メダル至上主義は日本社会そのものといっていいだろう。先ほど固定概念にとらわれることと視野の狭さが今の日本人の特徴であると述べた。それ以外にもメダル至上主義にはとても大きな日本社会を象徴するものが存在する。それは異様なまでの努力を強いることだ。選手に対しては特に金メダル獲得のためのプレッシャーを与えておいて、実際にメダルを獲得できなかったら検討よりも落胆が見られる日本社会。それは金メダル獲得というための向上心を強くすることとも捉えることができるが、逆に言えば金メダル獲得を強制しているとも見ることができる。それは高順位になるよう選手に絶大なプレッシャーを与える北朝鮮とどこが違うというのだろうか?良く言えば向上心を持ち続けさせる、悪く言えば特定の結果になるまで練習を強要させるメダル至上主義は、出世という向上心を持ち続けさせ重労働を強いる日本社会と全く同じではないだろうか?つまりブラック企業が行っていることをスポーツ選手に強いているのが日本社会なのだということである。スポーツ選手に対する酷使が問題視されない日本社会なのだから、そりゃあブラック企業がなくなるわけない。メダル至上主義というのは良くも悪くも勤勉な日本人の特徴が反映されたものであると言えよう。勤勉であるが故に時として無茶をして自分の身を滅ぼすことは日本人の特徴だ。同じようなものがスポーツ選手にも見られる以上、まさに日本社会に生きている人間であると言えよう。

 この日本社会そのものであるメダル至上主義をどう見るかは人それぞれであるが、先のようなあまりにも無知な炎上騒動が見られる以上、私はメダル至上主義を肯定的には見られない。スポーツ選手に対するあまりにも無知な言動と上から目線の評価に関しても、まさに日本社会を象徴していると言えよう。

・なぜメダルにこだわってしまうのか?

 ではなぜ日本人はメダルにこだわってしまうのだろうか?それはメダルというのは4位以下と違って物という名の形で表されるからであろう。特に金メダルに関しては世界の中での一位という意味も含んでいるのだから、日本が世界の中での一位を取ったという優越感が生まれる。言ってしまえば金メダルという世界一の優越感に日本社会が浸りたいからメダル獲得を異様なまでに熱望しているのだと思われる。でなければ福士選手のような炎上騒動は起こらないはずだ。

 余談になるが、福祉選手のような炎上騒動を起こす、いわゆるネット脳の人たちは誰かを叩いて自分の方が強いということを誇りたい優越感を求めている人が多いと言われている。そんな彼らがメダルという優越感を求めるのは当然だろう。日本人選手がメダルを取ったことをさも自分の事のように喜んで優越感に浸るのは、同調圧力が強い日本社会特有の現象であると言えよう。メダルという名の形で表される誇りという名の優越感の塊を求めたいから、日本人はメダルを異様なまでに熱望しているのだと思われる。

---コンプレックス社会がメダル至上主義を生み出した

 最近の日本社会はいわゆるコンプレックス社会だと言われている。最近の日本人の多くが何かしらのコンプレックスを抱えていて、そのコンプレックスをなくしたいが故に少しでも人より上を目指そうとしている。だから無駄な資格を多く取ろうとしたり、人よりいい大学に入ったり、いい就職先に就いてお金を儲けたりする。とにかく自分のステータスを高めたいと思っているのが今の日本人の特徴であろう。どうしてここまでコンプレックスを抱いて自分のステータスを高めようとするのか?それは敗戦を受けて設立された自虐史観の精神が今の日本人の奥底に強く刻み込まれているからだと思われる。

 日本は駄目だと教えられることが同時に自分も駄目だと思い込むことに繋がってしまう。そりゃそうだろう。国が駄目だと言われたらその国に住んでいる自分達は駄目な民族なんだと認識するに決まっている(が、最近の若い世代は本当に自分達は駄目なのか?と疑問を感じているようだ)。教育で植え付けられる駄目なレッテルと今の日本社会の現実とそれから予想できる明るくない未来、という絶望に耐えきれなくなった子供や若者が、次々と自殺しているのだと私は分析している。自虐史観に陥って自分は駄目なんだという勝手な思い込みを払拭するために行うことが、自分のステータスを高めることなのである。今の日本人は自虐史観から脱却したいがために自分を高めているのだ。そして自分より高い地位を得て自分より下の人間がいるという事実を認識することで、自分は駄目ではないという自虐史観からの脱却を求めている。そんなことを求める人間ばかりではないとは思うかもしれないが、実際に他人を異様なまでに見下したがる人間が社会に存在しているという事実がある。敗戦以後確立してしまった自虐史観教育により、「日本人」としての誇りが失われてしまった結果、権威や権力に固執してしまうコンプレックスを抱えた今の日本人が形成されているのだと私は考えている

 またその際に世界と比較した場合も大きなコンプレックスを今の日本人は抱いている。今の日本人は世界と比較して駄目な自分達に比べて世界は羨ましいと、世界に対するコンプレックスも抱いていたりする。実際日本人は世界と比べて平均身長が低い民族であり、体のパワーは世界に比べれば劣っているだろう。そんな世界に負けたくないという想いが異常なまでのメダル至上主義に繋がっているのだとも私は考えている。メダル至上主義の根底にあるのは駄目な日本人というコンプレックスを払拭することなのだと私は考えている。

 ・・・と真面目に考察してみたが、本当はそこまで深く考えていないのかもしれないとも私は思っている。あくまでも「真面目に考察した」が故のこの見解なのであって、実態は全く別物の可能性がある。詳しくは後述する。

・コンプレックス社会は日本の韓国化を意味している!?

 まとめると今の日本人は世界と比べても異様なまでにコンプレックスを抱えているからメダルを異様なまでにこだわるのである。その根幹にあるのは敗戦後に確立された自虐史観教育であり、駄目な日本人から脱却したいがために社会全体で「世界で一番」を求めているのだと考えた。それは一見すると向上心が見られる素晴らしいことかもしれないが、弊害として高い地位に登れない人間を見下していたり、高い地位に上るために自らの心を捨ててしまうという異様なまでの権威至上主義をもたらすことになってしまっている。

 実はこのコンプレックスを抱えているが故の歪んだ社会構造が日本以外でも行われてしまっている国がある。それは韓国である。韓国は日本と比べて勝ったことがないずっと負け続けている国だ。それは朝鮮半島という非常に争いの絶えない地域に住み着いてしまっているが故の悲劇だ。争いが絶えない地域といえば中東や南アフリカの国々が思い浮かぶかもしれないが、それらの地域が争いが絶えなくなったのは欧米が侵略してきた以後である。欧米が侵略してくる以前は、まあ民族通しの対立はあったかもしれないが、年がら年中血を流し続けることはなかったはずだ。長い歴史をかねて最も侵略され続け、争いが絶えなかった地域は朝鮮半島ただ一つであろう。そんな朝鮮半島に生まれてしまいずっと戦火に晒され続けてきた朝鮮民族は世界と比べても負けの歴史が深い。朝鮮民族の歴史は負けの歴史であり勝ったことが一度もないのだ。だから朝鮮半島には誇れるものが何もないので、慰安婦と呼ばれる自分達が晒されてしまった歴史を像にして自分達の誇りを残すために躍起になっているのである。まさに日本以上の歪んだ誇りだと言えよう。そんな歪んだ誇りを維持し続けたいから、彼らは負けた日本を執拗なまでにいじめているのである。

 どうして日本なのかといえばそれは第二次大戦で世界中からフルボッコにされたから。世界中からフルボッコにされた民族を便乗して叩けば、自分達より下の民族がいることを実感できるので、民族としての優越感を得ることができるということなのである。反日教育というのは、いわば自分達は弱くないという事を表明したい、朝鮮半島の侵略され続けた歴史から自分達を守るために行っている悲しい教育なのである。だから歴史の捏造も平気で行う。負け続けた歴史を直視したくないから。もしも第二次大戦で日本ではなく中国が負けていたら、韓国は反中教育で自分達のコンプレックスの払拭を図っただろう。それほどまでに韓国は異様なまでのコンプレックス国家になってしまっているのである。

 実際韓国は異様なまでの学歴至上主義でもある。有名大学に落ちただけで自殺する人がいるなど、韓国の上の地位に対する執念は世界一であると言えよう。だからあらゆる世界機関に韓国人を送り込もうとしており、実際に国連事務総長になった潘基文を次の大統領に望んでいるのであり、その潘基文国連事務総長を目指したのも世界一の地位に就きたかったから。そして人事を身内で固めたのも朝鮮民族の誇りのためだと私は考えている。

 この韓国社会に今の日本社会はとても近づいてしまっていると私は感じている。他人を見下して悦に浸りたい行為なんかまさに同じであろう。民族を見下すか人を見下すかの違いである。異様なまでに権威を求める行為も韓国人そのものだ。言ってしまえば、敗戦後の日本社会の歩みは日本の韓国化を促してしまっているものなのである。コンプレックスに異様なまでにこだわってしまうのは、韓国人と全く同じだ。それでいいのだろうか?コンプレックスの払拭のためにこだわってしまうメダル至上主義は、言ってしまえば日本の韓国化の象徴なのである。日本人は本当にそれでいいのかと問題提起をしているのが私だ。

・メダル至上主義を生み出しているのは・・・

 ではそんなメダル至上主義を生み出したのは誰なのか?メダル至上主義は決して自然発生的に生まれたものではないし、むしろ自然発生で生まれるものではない。人の手により生み出されてしまった物だ。そのメダル至上主義を生み出したのは誰かといえば、当然ながら日本のマスメディアであろう。日本のマスメディアが異様なまでにメダルメダルと連呼することで、メディア報道を心酔してしまっている日本人もメダルメダルとメダルを熱望するようになってしまう。まるで宗教だ。単純に日本のマスメディアが日本人選手のメダル獲得に固執しているから、日本社会にもメダル至上主義が生まれてしまったということなのである。ここからも日本社会がマスメディアによって作られていることがよくわかるであろう。

---メダル至上主義を生み出してしまっているマスメディアのダブルスタンダード

 メダル至上主義をマスメディアが生み出していると仮定した場合、実はマスメディアの日頃の報道との矛盾が生じてしまう。それは先に述べたメダル至上主義の根幹に自虐史観教育があることから説明することができる。日本のマスメディアは日本の自虐史観教育を維持するための報道に躍起になっている。それは憲法9条改正反対の運動を大きく報道したり、戦前の日本は悪だったという報道を繰り返している点からも証明できる。そんなマスメディアが自虐史観からの脱却のためのメダル至上主義を日本社会に蔓延させていることはおかしなことなのである。まあ日本人の99%(ってか私以外全員だろ)はメダル獲得が自虐史観からの脱却を求めるなんて発想はできないのだから、そもそもメダルと自虐史観教育を結び付けることができないだろう。だが先にも述べた通り、コンプレックスが蔓延している日本社会がメダルという名の栄光にすがろうとするのは当然の経緯だ。そのコンプレックスが自虐史観によって形成されているのだとしたら、メダル至上主義は自虐史観からの脱却を求めていると言ってよいものだ。そんな自虐史観からの脱却を求めるメダル至上主義を、自虐史観の維持に躍起になっているマスメディアが行っているのは、極めて異常な行為であると言えよう

・本当は何も考えていない?メダル至上主義

 だがこれはあくまでもメダル至上主義が自虐史観からの脱却を求めていると仮定した場合だ。そうでない場合においてマスメディアがメダルを異様なまでに熱望する報道を行っているのは・・・日本の韓国化を促していることを除いた場合は、本当に謎だったりする。まあ1か10しか考えられないからメダル獲得という極端なことしか報道できないというのもあるのかもしれない。もしかしたら何も考えないでメダル至上主義を報道しているのかもしれない。そして何の意味もないメダル至上主義に日本国民が踊らされている。なのでメダル至上主義の実態はマスメディアがそう報道しているから何も考えないで便乗しているだけに過ぎない、という可能性がある。だが仮にそうだとした場合でも、結局日本社会がマスメディアに支配されている証拠になることに変わりはない。メダル至上主義に意味があろうがなかろうが、メダル至上主義はマスメディアに日本社会が支配されている証拠なのである。それもまた「今の日本社会」を象徴していると言えよう。それが福祉選手のような炎上騒動を起こしているのだとしたら、メダル至上主義、もといマスメディアに支配された日本社会は問題社会であると言えよう。

・まとめ

 以上でメダル至上主義に関する考察を終わりにする。まとめるとこんな感じになる。

・メダル至上主義は異様なまでにメダルに執着してしまうことで、メダル以外の選手の結果には一切興味なし。

・メダル至上主義は様々な面から今の日本社会の象徴である。

・メダル至上主義が生まれてしまったのは、意味があるとするなら自虐史観からの脱却を国民が無意識的に求めているから。

・メダル至上主義のような権威にこだわってしまう社会構造の姿は韓国社会そのものである。

・そんなメダル至上主義を生み出しているのはマスメディア

・だが自虐史観を維持しようとしているマスメディアが、自虐史観からの脱却の象徴であるメダル至上主義を報道しているのはおかしい。

・以上の事からマスメディアは何も考えないでメダル至上主義を広めていて、日本社会はそれに乗っかってしまっている。それはまさに日本社会がマスメディアに支配されている証拠になる。

・それでいいのか日本人?

 以上が今回の文章のまとめである。

・メダル至上主義から脱却するにはどうすればいいのか?

 ではそんなメダル至上主義から脱却するためにはどうすればいいのか。単純明快に意味があろうがなかろうが、メダル至上主義はマスメディアが生み出している物なのだから、メディア報道に惑わされなければいい。まずはマスメディアがあそこまでメダルを求めるのはなぜなのだろうかと考えることから始めてもらいたい。そして日本社会があそこまでメダルを選手に強いるのは問題ないのだろうかと疑問を持ってもらいたい。日本社会のメダルへの情熱に疑問を感じた時点で、あなたはメダル至上主義から脱却したことになる。メダル至上主義からの脱却、つまりメディア報道へ疑問を向けられるようになれば、日本社会の構造そのものにも疑問が浮かんでくるはずだ。そうして疑問解消のために様々な物を調べて思考を巡らせると、日本社会はマスメディアに支配されているという事実に気づくはずだ。実際に私は(半分ほど直感だが)そのような経緯から日本社会はマスメディアに支配された社会であるという認識に至った。

 まとめると、メダル至上主義からの脱却は日本社会そのものを見つめなおすことにも繋がるのである。それだけメダル至上主義が日本社会そのものなのだということなのである。

・最後に

  今回はメダル至上主義の弊害として福士加代子選手の炎上騒動に関するものを取り上げたが、他にもメダル至上主義の弊害と見られるものが特にインターネットを中心に数多く見られたりする。メダル至上主義という言葉は私の造語なので、検索しても私のツイートか私のブログしかヒットしないと思うので、様々な人の五輪の結果を述べた感想を拝見してみることをオススメする。例え4位で終わったとしてもその選手を罵倒している人がいたら、その人は間違いなくメダル至上主義に汚染されている。よーく見てみるとメダル至上主義に汚染された人間は決して少なくないことがわかるので、是非リオ五輪感想ウォッチャーをしてみることをオススメする。日本人の本当の姿というのがわかるはずだ。そしてリオ五輪感想ウォッチャーをして、こんな日本社会で本当に良いのかと考えてもらえると、今回の文章の意義が出てくるので有り難かったりする。一緒に考えて日本社会を見つめなおしませんか?