D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

農業復活・待機児童・地方創生・過疎化の四つを解決する案②待機児童に関して

 元々一つの文章として投稿しようとしたものですが、長くなってしまったので分割しました。

 一応前の文章はこちら。一応続き物であり、前の文章を読んでおいた方が理解が深まると思いますが、単体でも通用すると思われる代物です。

 

・待機児童問題を解消させるためのプラン

 農家をどうやって増やすのかはわかった。この農業政策を行った後に行うのが、待機児童問題の解消である。待機児童問題に関してはこちらの文章にまとめたので読んでもらいたい。その上で改めて待機児童問題の要点をまとめると、待機児童は特に都会で暮らす人が多いことによってさまざまな不都合が生じることで起こる問題なのである。ということなので、待機児童問題の解消には地方に保育園を建設することを以前の文章で説いた。その以前の文章に繋がる文章が今回の文章だ。地方に保育園を作っても地方に待機児童世帯が移住してくれなければ意味はない。ということなので、地方に保育園を作って都会の待機児童世帯を地方に移住させてそこで生活してもらえば待機児童問題は解消するだろう

---待機児童世帯をどこに移住させるのか?

 では都会の待機児童世帯の移住先は具体的にどこにするのか?地方農家だ。つまり地方農家に待機児童世帯を移住させる事を考えているのだ。農家にとっては子供は孫みたいに可愛がられるだろうから、待機児童世帯の農家の移住に関しては農家側は何の不都合を感じることはないだろう。問題は世帯側がそれを望むか否かだ。都会から離れた田舎暮らしに待機児童世帯の親が耐えられるかどうかが気がかりである。また先ほど述べたが、農家には無就労者も派遣してもらうつもりだ。むろん無就労者と待機児童世帯とで派遣先を分ける案はありだが、その場合受け入れ先の農家の数に限界が生じてしまう可能性があり、無就労者と待機児童世帯のどちらかが結局溢れる可能性が出てしまうのだ。特に待機児童世帯にとっては本末転倒な事態になってしまうだろう。また待機児童世帯単体で移住した場合収入面での問題がある。育児面に関しては農家の人に助けてもらうことはできるかもしれないが、収入に関しては不安定なのは変わらないだろう。場合によっては育児しながら女手で農業をやらなければならないという大変な状況にもなってしまうだろう。

 なお保育士に関しても農家に派遣してもらうと考えたが、保育士は地方保育園に定住させるのでもよいのかも。保育士に関しては様々な案が考えられるので、実際に実行した際にでも考えだせば問題ないだろう。前提として、保育士一人ひとりの負担を軽減させることは当然の処置だ。保育園も国が設立して、保育士の給料も国が出す方針にしなければ無理かなあ・・・。

・四つの問題を解消させるための究極の案

 そこで考えている案がある。先に述べるが、恐らくこの案は間違いなく波紋を呼ぶものであろう。その案というのは至って単純。無就労者と待機児童世帯を同じ農家に移住させるのである。つまり無就労者と待機児童世帯と農家を合わせて疑似的な家族になってもらおうと考えているのだ。むろん疑似的な家族になったとしても収入面での不安はぬぐえない。だが私は無就労者の農家派遣に伴う収入に関しては補助金的なものを用意することを考えている。具体的な内容はまだ未定だが、農業だけでも生活しているだけの援助は必ず行うつもりだ。なので収入面での不安に関しては待機児童世帯単体の移住よりかは保証されるだろう。むしろ無就労者と待機児童世帯を受け入れてくれた農家に補助金を授ける案でもいいかもな。無就労者と待機児童世帯を一緒に農家で定住させれば、少なくとも待機児童世帯の母親の負担は軽減できると考えている。こういう事を考えるのだから一緒に住む無就労者は男性が望ましいだろう(むろん女性同士でも構わないが農業という力仕事に従事してもらうのだから男性の方が良いだろう。あと赤の他人の女同士の定住は馬が合わなかったら怖いことになるだろうし)。

 以上をまとめると、見ず知らずの男の無就労者と見ず知らずの母子の待機児童世帯を見ず知らずの高齢農家に定住させて疑似的な家族を作らせようと考えているのである。こうすることで農家の後継者が生まれるし、待機児童問題も解消するし、地方に子供が移住するので将来的には地方創生と過疎化の二つも解消できるだろう(地方創生に関しては他にも案があるので後程)。まさに夢のような政策だと思わないだろうか?

 こんな政策の唯一にして絶対の難点は、人々の気持ちだ。見ず知らずの人間と見ず知らずの家で疑似的な家族となって生活するこれに今の日本人は耐えられるのだろうか?特に見ず知らずの人間のうちの一人は無就労者である。おそらくだが無就労者との定住を嫌がる待機児童世帯の母親は100%出てくるだろう。なので希望の無就労者と定住させる案はありかもしれないが、待機児童世帯の母親共通の課題としてわがままな部分が見られるからなあ。恐らく精神的拒絶を訴える待機児童生体の母親は間違いなく出てくるだろう。

 また無就労者の見知らぬ男に性的に襲われる可能性も低くない。無就労者の男の中には性的欲求が凄まじい者はたくさんいる。彼らが同じ屋根の下で生活する女性に対し性的行為を行わないと言えるだろうか?そしてそんな性的欲求をため込んでいる無就労者を高齢の農家の人達が止められることができるのだろうか?

 このようないわゆる赤の他人同士の感情面でのトラブルが100%起こると考えている。私が考えている疑似家族の案はまさに諸刃の剣であろう。が、疑似家族以外にも考えられるプランはある。それは施設での定住だ。疑似家族プランが無理なら地方に無就労者用と待機児童世帯用の施設を作り、国の管理下で生活してもらうという案がある。この場合本人たちに自由はなくなるが、感情面でのトラブルは疑似家族案よりかは抑えられるだろう。自由を求めて感情を捨てるか、感情を求めて自由を捨てるかのどちらかになるだろう。

・日本人はガラスの関係を捨てられるか?

 と書いたが、自由を求めて感情を捨てる方はそもそも行わなくてよいものだ。当人たちの努力次第でいくらでもなんとかなるはず。大事なのは、政府の援助よりも当人たちの努力だ。先ほど見ず知らずの人間と見ず知らずの家で家族となって生活することができるのだろうかと説いた。これはそのまま男と女が同居することを意味する。疑似家族案は高齢者というおじいちゃんおばあちゃんの存在がつき、更には子供もついてくるという物ではあるが、見ず知らずの者同士の特に男女がともに住まうという意味では、お互いに愛し合っている男女の同棲と全く同じである。違いは男女間に愛があるかないか疑似家族を行うにあたってお互いに愛し合う必要はない。だが思いやりは忘れないでほしい。この「思いやり」は愛し合うが故の「思いやり」という意味ではなく、相手の事を考えるという意味での思いやりという意味である。つまり愛し合う必要はないが常に相手の事を考えて生活すべきだということなのである。

 だがこの相手の事を考える行為を現代人は勘違いしている節がある。相手の事を考えて相手を怒らせたり悲しませたりしないように常に気を使いながら行動する。これが現代の相手の事を考えた行為だ。だがこの行為は本当に相手の事を考えた行為ではない。相手の事を考えたふりをしているだけの行為に他ならない。本当の相手の事を考えた行為というのはたとえ怒らせたり悲しませたりしたとしても、お互いに本音でぶつかり合って喜怒哀楽を共有することだと私は考えている。現代人はお互いに喜怒哀楽を心の底から共有しあうことができるのだろうか?

 むろんお互いに考え方の違い等の相違点があることも事実だ。その相違点をお互いに受け入れられる心の広さも必要だ。今の日本人は1つでも自分と違う部分を持つ相手を受け入れられているのだろうか?

 以上をまとめると、現代人は喜怒哀楽を共有することと自分と違う部分がある相手を受け入れることができているのだろうかという問いかけになる。私はできていない人間の方が増えていると考えている。でなければ日本社会でこんなにも精神疾患の患者が増えていない。こんなにも日本人のコミュニケーション能力が衰えているわけがない。私は今の日本人の人間関係の大半がガラスの関係であると考えている。ガラスは脆く壊れやすくそして壊れたガラスは人を傷つけるものとなる。自分の人間関係はそんなガラスのような脆く壊れやすく傷つけやすい関係になっているのか、よーく考えてもらいたい。このガラスの関係を克服できるかどうかが疑似家族案成功につながると私は考えている。

 せっかくなのでガラスの関係を克服するためにはどうすればいいのかについてもまとめておくと、

・本音でぶつかり合う度胸  ・駄目なものは駄目と言える良識

・違うものを受け入れる許容 ・行き過ぎた行為を行わないための忍耐

・以上を適切に行うための感情の操作

以上の5つの要素が必要になってくるだろう。むろんあくまでも私一個人の考えに過ぎないので、円滑な人間関係を築くためにはどうするべきなのかを自分で考えるのが一番重要だ。ってか心理学とか全く勉強してないのにここまで考えだすのめっちゃ苦労したんだけど。

---日本人同士にガラスの関係が増えてしまった理由

 ここからは余談を述べておくが、ではなぜ日本人同士の関係にガラスの関係が多いのかについて考察しよう。と書いておきながらいきなり結論を申し上げるが、ガラスの関係が多くなってしまったのには教育とテレビが関わっていると私は考えている。戦後の日本教育は個性を大事にしない詰め込み教育であり、詰め込み教育によって出来上がった人間は基本的には同じ価値観を持つ人間となってしまう(この辺りに関してはこちらの文章で述べている)。なので同じ価値観の下では友好的な関係を築けるだろう。基本的に同じなのだから。むろんそれでも中身の心の部分は異なってくるだろう。

 自分という名の個性を潰して社会の一員として様々な人と友好関係を築き上げる。そうして作られた人間関係は自分を殺して作り上げたものなので、ガラスのような薄く冷たい人間関係だ。だから脆く壊れやすい。本当の自分を見せないようにしているのだから。

 日本社会には暗黙のルールというのがありそれがより一層ガラスの関係を強めているのだと私は考えている。そしてその日本社会の暗黙のルールを制定しているのは、日本のマスメディアだと考えている。日本社会の暗黙のルールを日本のマスメディアが作り上げているということは、その社会はマスメディアによって成り立っているということになる。これについては何度も述べた。実際問題マスメディアに反対することや教育に反対することを述べた者を一昔前の日本ではどういう風に扱っていた?普通じゃないのレッテルを貼っていたのではないだろうか?その「普通」という認識は何からもたらされたものなのだろうか?「普通」という特定の価値観に縛られて、他の価値観への耐性がなくなっているのだ。だから「普通」の価値観とは異なった人の本心に触れた時、「普通」によって作られていた人間関係がガラスのように簡単に壊れてしまうのである。これがガラスの人間関係なのであり、その「普通」をもたらしているのが教育とマスメディアなのだと言いたいのである。

 なので今の日本人のコミュニケーション能力が低下しているのは、個性に対する免疫を教育などで養ってこなかったのとマスメディアの報道に疑問を持たないことが原因なのだと考えている。この二つを重視したのがゆとり教育だと私は考えている(まあ後者に関しては教育を受けた世代が考えることで勝手に疑問を抱いたと思われるものだが。厳密には民主党政権が誕生した後でも報道に疑問を持つ教育は行われていない)。実際にゆとり世代と呼ばれる世代とのコミュニケーションはうまくいっていない人が多いだろう。それは詰め込み教育世代がゆとり世代の個性に対する免疫を持っていないからだ。

 そしてその個性はインターネットの発達によってますます拡散されていった。インターネットは基本的には匿名で自分の本心をさらけ出す人が多いという。匿名でなら本音を言いたい放題言うというのも日本社会特有の現象だ。こういう風になってしまった背景を考えると、やっぱり個性を大事にしない詰め込み教育と社会では同じ考え方の基に行動するという同調圧力を植え受けたマスメディアが浮かんでくるのである。そのインターネットが発展するにつれてどんどんと日本人の本音が拡散されていき、結果本音を封じていた今までの日本社会に亀裂が走ることになった。それが今の日本社会の現状だと考えている。

 言うなれば、日本人は本音と建前の間で揺れていて、何を大事にしたらいいのかがわからなくなっているのだと考えている。だから以前に比べてルールやマナーを守らない自己中心的な人が増えていたり、犯罪が凶悪化したり、国民がますます思考停止になっているのだと考えている(まあ実は他にも考えられそうなものがあったりするんだけどね。いつかどこかで述べることがあるかもしれない。今は述べないということで)。自分はどうすればいいのかわからないから、善悪の判断が徐々にできなくなっているのではないかと私は考えている。これが今の日本の実態でありそもそも自分の事で頭がいっぱいだから他人に対する余裕がなくなり、結果的にコミュニケーション能力が低下しているのだと私は考えている。

 以上はあくまでも私の考えだが、今の日本社会がこのように編纂していると考えると、その戦犯は自国を大事にしない戦後教育とマスメディアによって形成された日本社会だと考えられるのである。教育に関してはかなり時間がかかるので今すぐに対策できるものではないが、特にテレビメディアを始めとしたマスメディアに関しては見なければいいので対策はできる。日本人全員がテレビを見なくなった時、一つの価値観によって形成されていた日本社会は壊れることになるだろう。その後の日本社会は国民が形成することになる。国民の努力次第では個性に耐性が付いた社会、ガラスの関係がなくなった社会にすることができるだろう。こういう面からも日本のマスメディアを無視することが大事だと述べているのである。

 ・まとめ

 待機児童問題解消のためのプランをまとめると、地方に保育園を作って地方の農家に待機児童世帯を移住させる。地方の農家には待機児童世帯だけでなく無就労者も移住させるので、疑似的な家族が形成されることになるだろう。この案によって農業の復活・待機児童問題の二つは解消が見込まれ、さらに将来的には地方創生と過疎化の解消にもつながる可能性がある。メリット尽くしの疑似家族案の唯一にして最大のデメリットは、人々のコミュニケーション能力に左右されるということ。今の日本人はガラスの人間関係でしか人間関係を構築できないので、いかにガラスの人間関係を克服できるかが焦点になる。疑似家族案は最終的には国民の努力によって成り立つものとなるだろう。最終的には国民次第というのは民主主義を象徴することになるので面白いね。

・今回はここまで

 今回はここまでとする。待機児童問題に関してもここまでの文量になってしまったので、地方創生と過疎化に関しては次に持ち越しということで。ここまでを第二段階とするなら次が大詰めとなる。無就労者と待機児童世帯を農家に移住させても、そこで定住できなければ意味はない。次回は疑似家族成功のためのインフラ整備について述べよう。

 

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