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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

舛添要一問題から見る民主主義の弱点~本当に悪いのは東京都民~

 ・初めに

 元々一つの文章として投稿しようと思っていたのですが、長くなってしまったので分割することにしました(超アンバランスな分割の仕方になったけど)。今回は前半ということで、舛添要一のスキャンダルから見えてしまう民主主義の弱点について述べます(しまうというのがポイント)

 

舛添要一は何をした? 

 まずそもそも舛添要一という人物が何をしたのか?簡単なまとめを掲載しておこう。

 きっかけとしては舛添要一東京都知事が海外に行く際に莫大なお金を使っていたことからだ(本当の問題浮上のきっかけは恐らく韓国学校の建設だと思われるが、マスメディアによって作られた世間一般の認識はこちらになってしまう)。いわゆる舛添都知事の海外豪遊に特にネットユーザーが問題意識を持ったことから始まった。メディア発の問題ではないというのが地味に重要なポイントだ。最初は疑惑から始まった本件だが、次々と明るみになってくる黒い証拠にさすがのマスメディアも批判せざるを得なくなってしまったのだろう。物凄く甘いが。現在舛添要一問題は炎上騒ぎにまで発展しているほどの大騒動となってしまっている。メディアの追及は甘いが

 

 そんな舛添都知事の豪遊問題。実はこれはただのスキャンダルや炎上騒動に留まらず、私は民主主義の根本を揺るがす大問題にまで発展してしまっていると考えている。舛添問題から見る民主主義の根本に繋がる大問題とは何かを今回述べたいと思う。

・もしかしたら日本故の問題?

 先に述べておくが、実はこの問題は他の民主主義国家でも起こりうるものかもしれない。が、日本社会の独特さがもたらした問題でもあるかもしれない。言ってしまえば、愚衆政治故の問題点ということなのだが、他国との検証は後で他国で似たような現象が起きたら検証がされることであろう。もっとも他国で舛添問題と同じようなことが起こったら、恐らく四六時中のデモで暴動が起こるかもしれないし、自治体の長本人も自治体の長を辞任せざるを得ない状況になってしまうだろう。それでも辞任しなかったら他国の場合は恐らく本気で殺害されかねない。それほどの騒動に発展するのではないかと私は考えている。

 ここで重要なのは他国と日本との違いだ。もしも他国で舛添問題が起こったら国民というよりも自治体の民が猛反発するであろう。最悪のケースは殺害だ。そんな物騒なことに、恐らく日本以外の国ならなりかねないだろう。ところが日本では自治体の民、つまり都民はデモを起こすまでには至っておらず、殺害の可能性はゼロとは言えないが限りなく低いだろう。つまり日本は非常に、というか異常なまでに穏健な国だということである。この違いをどう見るかがポイントだ。日本の穏健さを良しとみるか、何もしない日本人の不甲斐なさを嘆くべきか。この文章を読んでいるあなたはどちらの認識を抱くだろうか?

 いずれにせよ、日本が他国とは全く異なる独特の国だということは変わらないだろう。独特の国だからこそ起こった問題なので他国でも起こるかどうかわからないのである。ただし仮に他国で起こったとしたら、今の日本のような状況にはなっていないだろう。少なくとも未だに舛添要一が都知事の座に座っていることはないだろう。そもそも他国の自治体の長がここまでのことをするのだろうか?そういう風にして考えると、舛添要一問題は日本特有の問題なのかもしれないと思ってしまうのである。

舛添要一本人から見えてくる民主主義の危機

 ではここから本題に入る。この舛添要一問題が民主主義の根本を揺るがす大問題である根拠を述べたいと思う。実はこの根拠は舛添要一個人だけでなく、はっきり言ってしまえば東京都という自治体に所属している人間全員に当てはまるものであり、今の東京都を見ることでわかることなのである。一つ一つ見ていこう。

 まずは騒動の張本人でもある舛添要一氏から見ていくがこれは非常にはっきりしていて、黒だとわかっていて都民に多大な迷惑をかけておきながら、都知事を辞めないことだ。だが、都知事を辞める辞めないははっきり言ってしまえば個人の自由なのだ。都知事本人が辞める辞めないを決めるのが一番最初の選択だ。その上で辞めるべきなのか辞めなくてもいいのかをきちんとした第三者、並びに都民が判断するのが地方政治の基本的な仕組みだ。なので舛添本人が都知事を辞める気がないというのは、本人の評判を著しく下げる行為ではあるが、人の感覚をなくした真っ直ぐ真ん中の視点から見た場合は問題ないのである。

---舛添要一に与えられる罰から想像できる法治国家の危機

 ポイントになってくるのは法的に見て黒なのかどうかだ。舛添問題は全容がまだ解明されておらず、なぜかマスメディアも法的に黒だという証拠を流していないが、私は恐らく法的に見て黒だと思っている。なので近々法的な罰則が舛添氏に下されるだろう。法的に黒な事柄を法が裁くのはまともな法治国家では当たり前のことである。だが今の日本の状況を考えるに、舛添要一が法的に黒だったとしても、法的に裁かれない可能性がある。法的に黒な事柄が法的に裁かれなかったら、それはもはや法治国家ではない。法治国家の大原則ができない可能性があるのだ。また仮に法で裁かれたとしても、知事本人の根回し等の余計な出来事が重なって、本来与えるべき法的罰則よりも甘い罰則になる可能性もある。舛添問題から法治国家そのものの概念が揺らいでしまうことになりかねないのだ。

 そんなことになってしまうのかと思うかもしれない。恐らくこれは過大妄想であり、最終的には国が介入して適切な裁きが下されるだろう。が、裏を返せば国が介入しなければ裁きができないということであり、それは民では裁くことができないということ。日本の民主主義の根幹である、三権分立が完全に壊れてしまう恐れがあるということなのだ。つまり民では舛添の暴走を止められないということなのである。本当に止められないのか?と思うかもしれないが、それは東京都民並びにマスメディアが舛添問題とどう向き合っているのかを見ることで見えてくる。そして今の東京都民、並びにマスメディアの報道から舛添要一は都知事を辞めないと判断しているのだと思っている。

舛添要一に全く怒っていない東京都民

 まず舛添問題が浮上するきっかけとなったのはインターネットの住人による指摘からだ。メディア報道からではないというのがポイントであり、このインターネットの住人は必ずしも都民に限らない。むしろ今のネットの様子を見ていると、東京都民以外の人の方が問題意識を持っている風に見える。だが東京都知事という役職上、東京都以外の人間がいくら問題意識を持っていても実際に東京都知事を辞めさせることはできない。これは地方自治の大原則だからである。都知事の進退を決めるのは日本国民ではなく東京都民なのである。

 では肝心の都民はどうなのか?メディア報道では都民が怒っているなんて報道がなされているが、本当に怒っているのか?まあ怒っている都民は多いだろうが、ただ怒るだけで何もしない、他人事のように思っている都民が大半ではないか?

---他国と比較すれば何もしない東京都民のおかしさがわかる

 先ほど他国で舛添問題と同じ問題が起こったら、その自治体の住民はデモを起こすと書いた。なぜデモが起きるのかといえば、それはきちんと問題意識を持っているからであり、自分達の意見こそが大事だと住民が訴えるからだ。民主主義の基本原理は民の声により政治が決まることだ。自分達の問題は自分達で解決することを当然だと思っており、問題がある自治体の長を辞めさせるのは住民として当然の義務だと思っているからだ。いわば住民の声としてデモを起こすのが世界の民主主義国家の住人なのである。

 一方の東京都はどうだ?住民の声としてデモを起こしているか?都民は怒っているということを舛添にアピールしているか?全くしていないではないか?言ってしまえば、都民は怒っているふりをしているのである。都民は怒っているというのは真っ赤な嘘なのである。違わないよな?違うんだったら何でデモをやらないんだ?なんでリコール活動を行わないんだ?

---地方自治体長のリコールに関して

 日本の地方自治体の長に関しては、地方自治法によるとその地域の有権者の三分の一以上の署名を集めることでリコールによる解職要求が成立する。人口が多い自治体の場合はめんどくさいルールが制定されているが、それは置いておいて、東京都の場合は有権者約1090万人のうちの146万人の署名が集まればリコールが成立する。1090万のうちの146万なのだから単純計算で都民全体の一割の署名を集めればリコールが成立するというわけである。146万という数字自体が一地方の住民全体の数字に並ぶ数字であるため、正直これを集めるだけでも大変な作業かもしれない。なのでリコールに否定的な人もいるだろう。だが東京都民の総人口が1090万人、そのうちの146万と考えると、そこまで難しい数字でもないのではないだろうか?むしろ本来は三分の一以上という原則に基づけば、超甘いものだと私は考える。

 本来の原則に基づいた場合、東京都知事のリコールに必要な署名の数は1090万人の三分の一なので大体350万人ほど。本来だったら三倍近くの署名を集めなければならないものを、総人口の一割ほどの署名を集めるだけでリコールができるのである。どこが厳しいというのだろうか?なので146万集めるのが無理だと言ってリコールしない事を選ぶ東京都民は、全くの見当違いのことをしているということなのである。というか、どうせ無理だとわかっていても署名するだけなんだからやってみてもいいはずだ。それすら放棄しておきながら舛添要一に対して怒っていると言うのなら、それは本当に怒っているわけではない。怒っているふりをしているだけである。本当に怒っているのならたとえ無理だとわかっていても、リコールの署名はするはずだ。それすらしないのだから都民は怒っているというのは全くの嘘であろう?

---怒っているのは超少数派だという現実を知れ!

 むろん全ての都民が怒っていないとは言わない。もちろん中には本当に舛添に怒っていて実際にリコールの署名にも参加している人もいるだろう。だがそれは東京都全体で見た場合の一割にも満たない超少数派。一割以上いるというのならもう既にリコールできているはずである。未だにリコールできていないのだから本当に舛添要一に怒っている都民は超少数派ということである。ということは、残りの9割以上の都民の大多数派は舛添要一に怒っているというわけではないということである。よって都民は怒っているというマスメディアの文句や東京都民の主張は、全くの嘘であるということである。

 

 違わないよな?違うんだったら今すぐリコールの署名に記入しろ。今すぐデモ起こせ。今すぐ舛添を辞めさせろ!できていない時点で都民の怒りは全くの嘘なのだ。自分達がやらないことを国や政府や内閣や自治体や議員などのせいに責任転嫁してんじゃねえ。

 だからトンキン人って言われるんだよ。

・メディア報道の問題点

 ここまで都民のあまりの情けなさに対する怒りをぶつけてきた。もう一つの問題点はマスメディア報道。はっきり申すが、メディア報道は叩きが足りない。ちゃんと叩いているじゃないかと思うかもしれないが、叩きが足りないという部分は他の政治家に対する報道と比べると見えてくる。具体的には、甘利明元大臣と猪瀬直樹東京都知事に対する報道ぶりと比較するとわかる。私は以前こんなツイートをした。

  あくまでも私一個人の考えではあるが、間違ってはいないはずだ。舛添要一の罪の大きさは甘利明前大臣よりも猪瀬直樹東京都知事よりも罪が大きいものであろう。そのことを踏まえ、かつ当時の二者に対する報道ぶりと比較すると全然叩きが足りない。あの二人ほどの勢いは全くないではないか。罪の大きさは舛添の方が大きいというのに。もしも盛大に叩いているというのならテレビ番組でも辞任論が出てもおかしくないはずだ。辞任しない舛添に困っているではなく、辞任しろとはっきり述べている地上波放送はあるのだろうか?全くない時点で全く叩いていない証拠である。

 日本のマスメディア的には舛添都知事をやめさせたくないのだろう。なぜかといえばいい感じの反日都知事だからだ。特に韓国に関してはまるで従属するかのような態度を示している。その証拠に待機児童問題が話題になっている中で韓国学校を建設していたりしている。この韓国学校の件は日本のマスメディアは総スルーだ。あれだけ待機児童問題と騒いでおきながら、実際に待機児童を増やすことになる東京都知事の行いには完全無視マッチポンプよりもひどいマスメディアの実態がお分かりになるだろう。少なくとも彼らが声高に主張しているものに中身はない。日本のマスメディアは日本を貶めるためにああいう報道を行っているのだ。違うというのなら待機児童に目を向けないで韓国学校を立てている件をなぜ追求しないのだ?追及していない時点でメディアの主張が空っぽであることの証拠になるのである。

 

 再三申していることだが、こうしたマスメディア報道の実態を分析し、彼らの行っていることの真の狙いに気づき、彼らの報道に耳を傾けないことがこれからの日本にとっては憲法改正以上に重要なこととなる。恐らく東京都民はマスメディアがあまり叩いていないから舛添をあんまり叩いていないのだろう。それだとしてもメディア報道に流されて舛添を叩かない都民が悪いということになってしまうが。日本のマスメディアに問題意識を持っている特に都民は、彼らの主張を覆すという意味でも、舛添要一都知事を都民の手で辞めさせるべきである。本当に舛添と日本のメディアに疑問を持っているのならな。

・死んでしまった東京都の民主主義

 ここまで舛添要一本人・都民・マスメディアに対する問題を説いてきた。改めてそれぞれの問題をまとめるとこうなる

舛添要一・・・本人に罪の自覚なし。辞める気は全くないとのことなので反省する気は全くない。法的な裁きも根回し等で回避するつもりで、実際に追及に対しては逃げている節がある。

・都民・・・舛添に怒っているとか言いながら全く行動していない。最初から自分達では舛添を辞めさせられないと過剰な思い込みをしてしまっている。問題解決は自分達で行うという民主主義の大原則を全く理解していない。

・マスメディア・・・イデオロギーによる報道が大半なので、罪の大きさによる報道は全くない。本当は舛添都知事を辞めさせたくないから甘利前大臣や猪瀬前東京都知事よりも叩きが甘いのである。証拠といえるのが韓国学校に対する非追及。

 これらの問題が合わさった結果今も舛添要一東京都知事に居座っているのである。そしてこれらの問題は民主主義の弱点を大きく露呈させたものとなってしまっているのだ。一番非があるのは都民だろう。自分達で舛添要一都知事を選んでおきながら舛添の好き勝手な行為に怒って、責任取って辞めさせようともしない。そんな都民なのだから舛添要一完全に都民を舐めきってしまっているのだ。だから辞任しようともしないし、罪の意識も軽いものだったりするのだ。

 そんな舛添要一を援護しているのが日本のマスメディアである。私は再三日本は本当はマスメディアに支配されていると述べてきた。舛添問題も日本がメディアに支配されている証拠の一つであり、実際にメディアの叩きが甘いから都民の舛添に対する叩きも甘いのである。もしもメディアが辞任しろと声高に主張したら都民はどんな行動をすると思う?間違いなくデモ活動が横行するだろう。つまりマスメディアの報道次第で都民の行動が決まるのであるそんな状況はまさにメディアによる支配が行われていると言えるのではないか?

 都民が自発的な行動をせず、マスメディアの報道に流されるだけ。そして舛添の問題を本当に裁ける者は東京都にはおらず、国などの権力の介入を待つしかない。その介入も必ずしも公正公平とは言えないものになるかもしれない。

 以上を総括すると、今の東京都は舛添要一による独裁状態なのである。長の身勝手を誰も追及しない、追及できないのだからまさに独裁政治であると言えるだろう。

 そしてどうしてこのようになってしまったのかと言えば、都民が行動しないからである。言ってしまえば、舛添要一は日本人が政治に無関心だという状況を利用したのである。だから今あんな行動を取っているのだ。民の政治への無関心さが半独裁状態を招いてしまったのだ。これこそが民主主義の弱点である。舛添要一は民主主義の弱点を的確に突いたのである。その結果、東京都の民主主義は完全に死んでしまった。その証拠に今も都民はリコールできていないだろう?民主主義が死んでいる東京都なのだから今も舛添要一東京都知事に居座っているということなのである。逆に言えば、舛添要一東京都知事に居座っていることは民主主義が死んでいる証拠になる。だから舛添問題は日本の民主主義の根幹を揺るがす大問題なのだということなのである。

・まとめ

 ここまでの主張をまとめる。舛添要一問題は民主主義の根幹を揺るがす大問題である。その一番大きな要因は都民。基本的に都民は政治に無関心であり、実際に政治に無関心だから舛添問題が露呈しても未だに自分達の手で辞めさせようとはしないのだ。そんな都民の状況を十分に理解しているから、舛添要一東京都知事を辞めようとしない。またマスメディアはこの問題の立役者ともいえる存在で、メディアによる追及が甘いから都民による追及も甘い。まあこれでも結局メディア報道に流されてしまう都民が悪いということなのだが。マスメディアのこうした援護も追い風となって舛添要一東京都知事に居座り続けているのである。

 これが今の舛添問題の現状である。民主主義の大前提である民の積極的な行動が全くないのだから、調子に乗った人物が民の声を聴かないで今も長で居続けているのである。まさに独裁状態と言える状況であろう。つまり民の政治に対する無関心さが独裁状態を招いてしまったのである。民が何もしなければ長はやりたい放題になってしまうというのが民主主義の弱点なのである。この民主主義の弱点を露呈させてしまったのが舛添問題なのだということである。

・今回はここまで

 今回はここまで。後編となる文章では、では舛添問題を解決させるためにはどうすればいいのかについて具体的に述べよう。・・・といっても、選択肢は一つしかないのだが。だがこの舛添問題に絡んだとある動きが実は国政にある(と見られている)。このことについても次の記事で述べたいと思う。

 

後編はこちらから