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D.S.~ダルセーニョ~のブログ(仮)

自分で勝手に考えたことを色々書いています

シリーズ:日本スポーツとマスメディア ケース③フィギュアスケート

前→http://2segno6dall.hatenablog.com/entry/2016/05/03/065507

 

 次に例を出すのは、フィギュアスケート。だが、こちらに関しては選手一人ひとりに対する扱い方が大きく異なっていたりする。具体的に見ていこう。

 

浅田真央

 マスメディアとフィギュアスケートを語る上で欠かせないのは浅田真央選手だろう。

詳しくはこちらをご覧いただきたい。

 浅田真央選手も他のスポーツ選手同様注目を集めた選手であるが、その注目の向き方が他の選手とは異なっている。実際に動画を見ていただければわかるが、どう考えても褒め称えてヒロインとして扱っている報道ではないむしろ貶めるかのような報道ぶりは当時のネットで大きく話題になった。

 そして際にマスメディアのこういう報道を受けて浅田選手は調子を失い、その後の成績が振るわなくなったといわれている。むろんあくまでも推測であるが、浅田選手の事務所がこうした報道に抗議を入れていたことから、無関係ではないのは確かであろう。今までとは真逆のパターンの持ち上げられかたをされたことにより、こちらは直接選手を傷つけたために、成績が振るわなくなったと見ることができる。浅田選手の場合は落とし穴に突き落とされたというべきか。

 そしてここからが重要で、ではどうしてマスメディアは浅田選手をいじめる報道をしたのかといえば、当時のネットでも頻繁に上がっていたキム・ヨナ選手との比較が挙げられる。キム選手は韓国のスケート選手で、当時浅田選手とキム選手はライバルとして扱われていた。世界でもこの二人はライバル扱いで、二人のスケートをまっすぐ真ん中から世界は見ていた。、日本のマスメディアも確かに二人をライバル扱いしていたが、なぜかキム選手ばかり注目していた。実際に動画の中でも、浅田選手よりキム選手の方が上と解説しているものが見受けられる。このことから、恐らく日本のマスメディアはキム選手に勝った浅田選手が憎かったがためにあんな報道をしたのだと推測できるでなければあんな報道をした理由は何なのだろうか?

 このような出来事がかつて存在しており、日本のマスメディアとスポーツを語る上では浅田真央選手の事例は欠かせない事例であると私は認識している。

 

 なお、その後の浅田選手の報道は逆に目立つ報道が多いらしく、今度はこんな批判が出ている。※もしかしたら閲覧注意

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11121558466

Yahooゴミ袋と揶揄されているものなので全く参考にならないが

 これ以外にも似たようなものが存在している。これらのポイントは全て浅田選手いじめ報道以後のものであり、浅田選手のいじめ報道が過去にあったことを述べている者はいないということだ。だからyahooゴミ袋なんて言われるんだよ。このような批判が出ているということは、浅田選手いじめ報道後の報道は持ち上げる報道が目立っているようだ。まあ反省しているといえるかもしれないが、今度は持ち上げすぎて批判が出ているようだ日本のマスメディアは加減というものを知らんのか?10か0かの二元論でしか報道できない日本のマスメディアは何ともレベルの低いものである。

羽生結弦選手

 次は羽生結弦選手を取り上げよう。こちらは浅田選手とは真逆で持ち上げ方が半端ない正直、異常レベル。まあルックスがいいというのもあるかもしれないが、どうしてあんなに過剰に持ち上げるのかといえば、仙台出身だからであろう。

 羽生選手が一気に持ち上げられるようになったのは2011年以後。そう、東日本大震災が発生した後からである。羽生選手自身も実際に被災しており、辛い環境の中必死に練習に取り組んでいたと過去にコメントしている。東日本大震災の報道がどういう報道なのかはご承知だろう。被災地かわいそう、被災地頑張れ、災害を忘れないといった同情の涙を誘う報道が主流である。羽生選手もその被災報道に巻き込まれたと言っていいだろう。言ってしまえば、震災という悲劇に見舞われた貴公子の扱いを受けているのである(まあ羽生選手自身は貴公子とは思っていないだろうけどね)。羽生選手も被災した仙台に元気を与えるために滑っているとコメントしている。それ自体は全く問題のないものだが、羽生選手を見ると、どうも被災地仙台のためにという決意のようなものが重荷になっている気がしてならない。それは2012年2月の世界選手権から垣間見ることができる。その世界選手権では、けがをして体調が万全でないにもかかわらず滑り続けたというかなり危ない橋を渡っている。選手としては素晴らしい根性の持ち主かもしれないが、一歩間違えればその後の選手生命に大きく影響を与えていたかもしれないと、当時見ていて私は思った。そしてあそこまで無茶をするのは被災地仙台のためという決意が重荷になっているからではないかとも思った。あくまでも、被災地仙台のための決意が重荷というのは私一個人の見方に過ぎないが、もしそうであるのなら、もう少し肩の力を抜いて滑ってもいいのではないかと思う。

 余談になるが、羽生選手並びにメディアは東日本大震災の被災地を勇気づける「羽生結弦」を形成している節がある。一見すると全く問題ないように見えるが実はここが重要。羽生選手もメディアも被災地仙台のための羽生結弦でい続けるということは、仙台はずっと被災地のままということにならないだろうか?つまり、「被災地である」仙台を意識し続けているということは、たとえどんなに震災から復興したとしても、仙台は「被災地」のままなのではないかということである。これはある種の気持ちの問題、言ってしまえば心の復興なのである。体性だけまともにしたところで心のどこかに「被災地」の認識があれば、被災地はいつまでたっても「被災地」のまま。真に被災地を復興させるためには、見た目だけでなく心も、つまり「被災地である」という認識を忘れるべきだと私は考えている。何が言いたいのかといえば、本当の「被災地の復興」を成し遂げるためには、「被災地のために」という気持ちを捨てるべきだということ。つまり、羽生選手は「被災地のために」滑る必要はないのではないかといいたいわけである。せめて、被災地でなく地元仙台のために滑るという意識を持ってほしいと私は考えている。・・・まあ羽生選手がいくら「被災地の仙台」という認識を捨てたとしても、マスメディアが忘れさせないだろうがね。そしてこれは羽生選手だけでなく、日本人全員に言えることだと私は思う。あなたは災害の被災地をずっと「被災地」にし続けますか?なんか趣旨ずれている気がするのでごめんなさい。というか羽生選手は落とし穴にかかってないし(まあこれからかかってしまう可能性もあるが)

 

 以上でフィギュアスケートに関しては終わりにしたいと思う。こんだけ書いておきながら中身は極薄で申し訳ない。そもそもプロじゃないので。だが羽生選手と浅田選手で持ち上げ方に違いがあるとお分かりいただければそれで十分。同じフィギュアスケート選手なのにどうしてこんなに扱い方が違うのか?これは他のスポーツにも見られる光景である。前回取り上げた侍ジャパンに関しても、同じ侍ジャパンの選手なのにどうしてあれだけ扱いが違うのか?そして同じ侍ジャパンの選手なのにどうして知名度が異なってしまうのか?こうした同じスポーツの選手で同じような活躍をしているにもかかわらず取り上げ方が異なるのはどうしてなのかは、考える必要があると思っている。今回のフィギュアスケートの記事が、羽生選手と浅田選手はどうしてこんなにも報道に差が出てしまったのかを考えるきっかけになってくれたら嬉しい。

 

 余談だが、フィギュアスケートはどうも芸能界との癒着が激しい気がするのは私の気のせいだろうか?実際にタレントとして活躍している、元も含めるフィギュアスケートの選手は他のスポーツに比べても多い気がする。あくまでも気のせいかもしれないが、最後に一応述べておこう。同じように芸能界との癒着が激しいと思われるスポーツにゴルフがある。こちらもタレントとして活躍している選手が多い。・・・そしてフィギュアスケートとゴルフ。どちらもとある国が力を注いでいるスポーツである。・・・まさかな・・・

 

続く→http://2segno6dall.hatenablog.com/entry/2016/05/10/213941